靖國神社以外に戦没者追悼施設は有り得ない
- 「追悼懇」の『国立追悼施設』新設構想断固阻止 -





英霊にこたえる会中央本部
広報部長
 佐藤 博志







福田官房長官の「追悼懇」の審議経過と官房長官の独走



この問題の発端は、平成13年8月13日に小泉首相が中国の圧力に屈して、二日前の前倒しの「靖國参拝」を余儀なくされたときの談話で、「何人もわだかまりなく参拝するには、どうしたらよいか」との諮問に応えて、同年12月14日、福田官房長官がその私的諮問機関の「追悼・平和のための記念碑等の在り方を考える懇談会」(以下「追悼懇」)を設置して今井敬氏(新日鐵代表取締役会長・経団連名誉会長)を座長に指名し、以下十名(山崎正和座長代理を含む大学総長・教授等六名、経済界代表二名、評論化二名)の委員を任命し、その必要性、種類、名称、設置場所などについて、概ね一年間をめどとして、審議してほしいとの要請にもとずくものであった。

その後会合は平成13年12月19日を第一回として、報告書の提出された平成14年12月24日まで十回開かれた。

敢えて福田官房長官の本音を推測すれば、追悼施設の新設の必要性をみとめ、その理論的根拠の論理構成を、終始密にこの会をリードした山崎座長代理に委嘱していたのではなかろうか。現に第三回の公開された議事録要旨には、その日の会議の締めくくりで「・・・問題は我々が政府を支持しているとすれば、政府が考えられる上で武器になるような論理をセットとして提出すればよいのだと私は考えている。」との同座長代理の発言が見られる。

更に福田官房長官は、この施設は国内向けとの建前を装ったために、必然的に靖國神社との関連が委員間での論戦の的となった。十人の委員の中で唯一坂本多加雄委員(学習院大学教授)は、一貫して「日本における戦没者の追悼施設は靖國神社であり、それ以外に追悼施設の新設の必要は全く無い」と病魔と闘いつつ文字通り命を賭けて弧軍奮闘、正論を主張し続けたが、山崎座長代理は、「靖國神社は民間の一宗教法人であり、戦後半世紀を過ぎる今日まで、わが国には国立の戦没者追悼施設が存在し無かった」と強弁し、押し切り、新施設建設の必要性はありとして坂本委員の正論を少数意見として斥け、靖國神社とは別個の国立追悼施設の理念の案出に議論を誘導した。かくして第六回(5月23日)はその後半年もの間公式の会合は開かないで、勉強会と称して地下に潜行し、専ら反対意見に対抗し得る理念の構成と修辞上のレトリックの工夫に没頭したかの如くである。




秘密会、追悼懇の議事要旨



勉強会は秘密会であり、議事要旨も公開されていないが、「追悼懇」の委員として職責に殉じたというべき坂本委員の急逝(10月29日)後、間もなく開催された11月18日の第七回の議事要旨を読めば、その間何が語られたかは大凡の見当が付く。その要点を述べれば、(1)平和祈念に軸足を大きく移動したが、平和祈念を実効あらしめるためには、、尊い生命を失った戦争犠牲者の死に思いを致さなければならないとして、追悼・平和祈念は一体不可分の概念としてとらえる。(2)最近の緊迫した国際情勢に配慮してか、バランスの取れた安全保護政策、並びに様々な国際的な平和構築の活動を行うなどの文言が突如として盛り込まれる。(3)追悼対象を戦前と戦後とに区別し、戦後に於いては敵方の死没者は含まないとした。これは多分に北朝鮮の工作船の死没者を意識しての配慮と思われる。(4)歴史認識については民主主義国家である日本としては、国会にその解釈に多様性を保障する責務を持つなどと敢えて付言し、自らの自虐史観への弁明の口実を設けた。

更に最も着目すべき点は「国を挙げて追悼・平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的施設が必要である。」との結論を出しながら、これらの事項は国民的な議論を踏まえ、最終的には政府の責任において判断されるべき重要な事項であるとして、その建設の可否を政府に下駄を預けたことである。このような表現を福田官房長官が許容したことは、既に同長官は何らかの裏工作で、この重要案件の国会審議でのクリアに自信を持っている証であると、私は睨んでいるがどうであろうか。しかも公式会合が再開された11月18日から報告書が提出された12月24日(第十回)の約一か月の短期間に、四回もの会合が慌ただしく開かれ、あっという間に福田官房長官の事前の「新追悼施設建設ありき」の策謀が図に当たった様相が目に浮かび、憤懣やる方なき思いに苛まれている次第である。以下「追悼懇」の思想の誤認、論理のすり替え、独善性等につき私なりに批判して、「国立追悼施設」新設構想絶対阻止のスプリングボードとしたい。




戦没者の慰霊・追悼は戦争の性格、勝敗に関係ない



英霊(戦没者)の慰霊・追悼と戦争の性格、その勝敗とは、同次元で論ずべき問題ではない。一国の有事に際し国に殉じた方々を、その国の伝統・習俗にしたがい最高の儀礼を以て国が慰霊追悼することは、社会体制の如何を問わず、戦争の勝敗とは関係なく、近代国家、国民としての社会通念であり、又人間としての自然の感情の発露でもあることは世界の常識であり、わが国では、明治二年靖國神社の前身である東京招魂社をご創立以来、昭和20年占領軍のいわゆる「神道指令」により靖國神社が一宗教法人として国の手を離れるまでは、靖國神社は「別格官幣社」として英霊の慰霊顕彰に、陸海軍両省がその管理に当たっていた。

そののちにも、「国民の大多数の意識の上では、靖國神社はそうした追悼のための公的施設」であり続けてきたのである。本来ならば、昭和27年独立主権回復後速やかに原状回復すべきであったものを、不作為行為の結果が、「国家祭祀」はおろか総理の靖國参拝にも他国の鼻息を伺い、挙句の果てに今日の靖國神社「代替施設」構想まで招来したのである。




東京裁判史観以外の何ものでもない論旨



「追悼懇」の論旨思想は、いわゆる「東京裁判」の歴史観の呪縛から抜け出せず、日本の関わった少なくとも満州事変以降の戦争を、すべて侵略戦争の犯罪とみなし、その戦争責任を負うべきいわゆる「A級戦犯」を祀った靖國神社に総理大臣が参拝することは、大東亜戦争を肯定し、戦争を美化する軍国主義に繋がり、平和をこくぜとし再出発した「日本国憲法」の理念にも反するものとして、「追悼施設」新設の必要性の根拠としている。しかもその追悼対象は、戦前にあっては戦災による一般の罹災者も含み、敵・味方の区別もせずすべての死者を対象であるとしている。たしかに無差別爆撃の空襲等による一般罹災の死者に対する惜別の情は耐え難い思いがあるが、しかし「公」の国のために、「私」の個を捨てた戦没者に対する慰霊追悼とは、峻別されなければならないことは、国防の理念に照らしても自明である。

ましてや敵方を同一施設で追悼することなどは論外であろう。




無宗教の国立追悼施設など有り得ない



無宗教性の「戦没者追悼施設」など世界中何処を探してもない。そもそも追悼という概念には、故人に思いを馳せ、その冥福を祈るという意味が本来備わっており、何も花輪を捧げる、或いは焼香する等の外見的儀式様式を必須の要件とするものではない。静かに黙祷し或いは手を合わせて拝む行為そのものが既に宗教性を帯びていることは、人間の自然の感情である。ましてや殉国の御霊を追悼する施設が国立なるが故に無宗教であるべきなどとの主張はサヨクかぶれの唯物論者か、政教分離原則の由来の本質を弁えないか、或いは知りつつも時流に阿る曲学阿世の徒の妄言に過ぎない。

中世期的宗教弾圧からの解放を求めて北米大陸に移住し、憲法に政教分離原則を規定した米国においても、アーリントン墓地における年三回の戦没者慰霊追悼式典は、ユダヤ・キリスト教の儀式により宗教色豊かに執り行われている。これは米国には「公共宗教」と呼ばれる政教分離規定が適用されない。米国民の生活に密着した宗教的領域があり、国家存立の根幹にかかわる「戦没者慰霊式典」は、その最たるものとしての厳粛な国家行事でもある。このアーリントン墓地に相当する戦没者追悼の中心的施設が、わが国ではほかならぬ靖國神社なのである。

靖國神社では、神道方式で御祭神の祭祀を斎行しているが、特別の宗旨・教義とてなく、果たして宗教の範疇に入るべきなのであろうか。「追悼懇」では最近とみに憲法第三十条三項の政教分離条文の狭義解釈化の傾向に迎合し、山崎座長代理はこの答申書では靖國神社には触れないで、抽象的論理の反復積み重ねにより、その基本的性格を論述したかったようだが、複数の委員から「靖國神社の代替施設ではない」。「両立しうる」。「形骸化するものではない」ことを世間に納得させるためには、靖國神社との違いを明確に示さないと困るとの意見に渋々応じて、第四項に「既存施設との関係」を設け、靖國神社は、宗教法人の宗教施設であるのに対して、新たな施設は国立の無宗教の施設で、その社会的意義の相違は明確であると記述した。ところが第三項の「基本的性格」の末尾で、「この施設は無宗教であるが、この施設に集まる個々の人々の宗教心まで排除するものであってはならない」との文言の解釈で、施設は無宗教だが、ここで平和祈念を行うのであれば、キリスト教や仏教であろうと宗派・宗旨を問わず宗教的行事をやっても構わないということになるとして、委員間に議論が沸き、結局ここでの無宗教という意味は、要するに無ではなくて超宗教の立場に立つことでお互い了承したことの経緯が、第八回の議事録要旨に記載されている。

何のことはない。戦没者の「追悼施設」は、宗教を超越した人倫上の自然感情の発露に他ならない普遍性を持つべきことを是認したのである。それは我々が主張する靖國神社こそ、「戦没者を追悼し平和を祈念する中心的施設」であることを、認めざるを得なかったことを意味する。はしなくもその論理構成の詭弁性の一端を露呈し、「追悼懇」設置が中・韓両国の靖國参拝非難を回避する、姑息な外交的手段を画策する不純な動機から出たものであることを暴露した。




福田官房長官の魂胆



平成15年2月15日現在、「新追悼施設反対署名運動」に参加した超党派国会議員は、二百六十六名(内自民党所属は、過半数の百七十五名を大きく上回る二百四十二名)に及ぶが、本議案が国会に提出された場合その帰趨は俄かには判断し難く、私は、可決の可能性ありと危惧されてならない。何故なら福田官房長官は、この報告書の内容であれば、(1)大方のマスコミ・いわゆる進歩的文化人・宗教関係者の支持を得て、世論を賛成に仕向けることができる。(2)靖國神社を一宗教法人としながらも、戦没者の慰霊・顕彰の祭祀の場として認めることにより、一般国民感情を宥めることができる。(3)特に小泉首相の靖國参拝は、その信条に従って自由であり、首相自身も新施設とは関係なく靖國参拝を行うと言明している。等々の理由で充分国会論議をクリアできると踏んでいると思うが故である。




朝日新聞と訪韓した与党三幹事長の気になる言動



2月8日の各新聞は、前日7日に山崎自民党幹事長ら与党三党の幹事長が、韓国の次期盧大統領の特使である新千年党の鄭最高委員らと会談した。その際鄭氏は、「新しい戦没者追悼施設」の整備を要請したことを報道した。この件に関し、朝日は、前日7日のインターネットのホームページで、8日の新聞には掲載しなかった山崎幹事長の「追悼のための施設は、政府として準備中だ」とのニュースを流した。これはオフレコだったのか、例によって朝日の捏造だったのかは判然としないが、いずれにせよ朝日の報道には要注意である。又10日訪韓中の与党三党と会談した盧次期大統領は、小泉首相の靖國問題参拝に関連し、「日本が平和を愛する国になったと証明する取組み」をするように要請したことを、NHKではテレビ・ニュースで、朝日・読売・産経の三新聞は、12日の朝刊で報道した。更に11日韓国の朴大統領秘書室長と会談した山崎幹事長は、会談に先立って参拝した韓国の国立墓地「顕忠院」について、「感銘を受けた」としたうえで、戦没者を追悼する新たな施設について「必要性を改めて認識した、実現に努力したい」と述べ、公明党の冬柴、保守新党の二階両幹事長も同様の考えを示したことも報道した。事の重大さに英霊にこたえる会では、堀江会長名で小泉自民党総裁宛て「緊急要請書」を送付し、山崎幹事長ら与党三幹事長の帰国後速やかに国民に対し、具体的にその真意を釈明することを求めた。

小泉首相は、「追悼懇」報告書の核心と余りにも良く符合する韓国側の要請に潜む「君側の奸」の陰謀を見破り、国辱を千歳に残す愚を犯すことのないよう、毅然としてかかる要請を即時拒絶されるよう望んで止まない。




平成15年 3月18日 英霊にこたえる会たより 第38号



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