二、大東亜戦争の原因と経過

(四)泥沼の支那事変



蒋介石の抗日救国政策による排日侮日の高まりや、北支に第二の満州を築こうという日本の策動で、日支両国は何時衝突してもおかしくない素地はあったが、全面戦争を避けたいという気持ちは、双方とも抱いていたのは確かで、その発端となった盧溝橋に於ける小部隊の衝突は、日支とも予期しなかったことで、中国共産党の劉少奇が、北京の精華大学生と青年党員を使い、日支両軍の間に潜入して発砲したことが、戦後明らかになった。日本と国民政府を戦わせて共倒れを図ったもので、中共としては巧みな謀略であり、双方ともまんまとこれに載せられてしまった。

その後に惹起した支那保安隊による通州の日本居留民の虐殺は、残虐非道の暴挙であった。これに続いて上海の大山大尉や、日蓮僧侶殺害など、日本国民の感情を逆撫でする事件が次々と起こり、その上、少壮過激な現地軍参謀連の独走が加わって、政府の不拡大方針もこれに引き摺られて、拡大の一途を辿った。これらの事件の中には、日本の支那浪人の引き起こしたものもあるが、その裏側で画策する、目に見えない黒幕が存在し、日支を戦わせよう戦わせようとする謀略が働いていたのであった。


日・支(国民政府)が戦って、人的物的国力を消耗して損するのはこの両者だけだ。とりわけ日本の国力が疲弊することは、大陸に多くの権益を持ち日本と競合している米英の思う壺であり、世界赤化を目指すソ連・中共にとっても望むところである。

東亜の強国日本の疲弊が願ってもない利益に通じる米英には、ここぞとばかりに援蒋物資を送りこみ、蒋介石を激勵援助した。そこには、米英の張り巡らされた情報網によって察知した日本の経済力の限界についての緻密な計算があった。多くの兵士の血を流した日本が、今更何の名目もなく大陸から撤退することは、当時の国民世論が許すだろうか?。若し無名目の撤兵をすれば、国民が激昂して内乱になったろう。事変の解決を阻む元凶は米英だということで、両国に対する敵愾心が国民の間に芽生えたのも当然の成行である。しかし、それは日本の言い分であって、自国民の血を流さないで敵を破ることは最も勝れた戦法で、米英から見れば国益に繋がる賢明な作戦であったわけで、敵ながら天晴れな戦略である。


平和を希求し愛好する気持ちはどの国民も同じだが、どこかで戦乱があれば、世界経済を刺激し、当事国以外の国が潤うことも確かな事実だ。日本も朝鮮戦争とベトナム戦争によって息を吹き返して、遂に経済大国に祭り上げられた。

大東亜戦争の宣戦の詔勅に「兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス」とあるように、日支戦争は兄弟喧嘩のようなものであったが、俗に言う子供(経済小国)の喧嘩に大人(経済大国)が出て来て一方に加勢し、とうとう片方の子供が大人に噛み付いたのが大東亜戦争である。又支那事変程目的の不鮮明な戦争はない。なお支那事変の最も大きな日本の誤りは、近衛内閣の「今後蒋政権を相手にせず」の声明である。現に戦っている相手を相手にしないで誰を相手に戦うのか、これ程滑稽で現実離れした声明はあるまい。



1、支那事変とルーズベルトの思惑

昭和十六年六月二十二日、フランスを席捲した独軍は、返す刀で、独ソ不可侵条約を破棄してソ連に雪崩込み、また、独軍の鋭鋒の前にイギリスもまた風前の灯火となっておった。一方アメリカは、連合軍に武器援助をしているものの、国民の殆んどが欧州の戦乱はよその大陸の出来事として傍観しているだけで、血を流してまで救援に赴くというような気運はさっぱりない。祖先を同じくする英国の浮沈は、そのまゝ米国の利害に繋がることは今も昔も変わりなく、ホワイトハウスの危機感は日毎に募るばかりである。

ドイツのソ連侵攻に衝撃を受けた日本では、平沼内閣が「欧州の情勢は複雑怪奇なり」との迷文句を残して退陣し、再び近衛内閣が登場した。その頃、米のルーズベルト、英のチャーチル、独のヒットラー、伊のムッソリーニ、そしてソ連のスターリンが、世界を動かす五人男と言われていた。ムッソリーニの代わりに蒋介石を入れたほうが適当かもしれぬ。



2、ルーズベルトの戦略構想

(1)危殆に瀕している欧州の連合軍救済の為、米軍の動員は必須になってきたが、その為には国民の参戦気運を醸成しなければならない。国民の目を戦争に向けるのに、何かの切っ掛けが欲しい。

(2)長期の戦争で疲れている日本を叩く好機である。日本にはアメリカと戦う力は残っていないだろう。仮令戦争になっても、屈伏させるのに大きな犠牲を必要としない。為し得れば日本に先に手を出させて、これを米軍参戦の切っ掛けに出来れば望むところである。ところが日本を屈伏させるのに、あれ程大きな犠牲を払わされたことは、彼の大きな誤算であった。



3、スターリンの戦略構想

(1)アジア赤化の障害は日本と満州国であり、蒋介石もまた敵の一人である。蒋介石と日本という敵同士を戦わせて共倒れにすることが、この障害を排除し、中共を支援する有効な戦略である。

(2)ドイツの猛攻撃を受けている現在、日本との二正面作戦は避けなければならない。この構想が日ソ不可侵条約(ママ)となった。この条約はソ連に有効に作用したが、日本は逆用されて手痛い目に遭わされたことはご存じのとおりである。


日本が蒋介石と戦い国力を消耗することは、米ソ共通の利益であり、両国とも表になり裏になって国民政府を支援した。何も蒋介石が勝たなくてもいい、抗戦さえ続けてくれれば、それだけ日本の国力が減耗する。血を流すのは有色人種の支那人と日本人ばかりで、米英ソのどの国も痛くも痒くもない。

支那事変を泥沼に追い込んでいるのは、決して近衛や東條でもなければ蒋介石でもなく、両者が握手しそうになると、列強の間から援蒋の手が伸びたり、原因不明の不思議な事件が突発し、戦線が思わぬ方向に拡大してゆく、前者は大陸に多くの権益を持つアメリカとイギリスであり、後者は世界赤化を目指すソ連であることは判っていたがそれがそのまゝ米・英・ソを相手に戦わなければ解決の道がない。

しかしアメリカの目的は大陸に於ける権益の確保であり、ソ連は赤化であって、その思惑には大きな隔たりがある。日本と満州国という防波堤が潰れたら、それこそ赤化の波はまさに怒濤の如く大陸に襲いかかる。ルーズベルトはそれを考えない程の馬鹿ではなかったが、極東の番犬と思っていた有色の日本がアメリカに逆らうことは、白色文明支配の世界秩序を乱すものであって、白人のプライドが許さず、日本憎しの小乗的正義感が先に立っていた。また日本を潰すことがソ連や中共を利する結果になることが判っていても、それを考える余裕のない程欧州の戦局が差し迫っていたからである。結果的にスターリンの思い通りになったことは、戦後の歴史が物語っており、アメリカも日本も、そして蒋介石も多大の犠牲を払ってソ連の赤化政策を支援し、毛沢東の尻押しをしていることになった。


大陸の泥沼に嵌り込んだ日本、とりわけ陸軍は、何としても支那事変を解決して国力の回復を図り、本来の使命であるソ連国境の守りを固め、赤化戦略の浸透を防がなくてはならない。戦っている相手は蒋介石だが、もうその頃の蒋軍はアメリカの代理軍に過ぎなくなり、実質的には日米戦争になっていた。しかも皮肉なことに日本はアメリカからの屑鉄と石油を頼りに戦を続けているので、生殺与奪の権はアメリカに握られていたのである。詰る所シナリオを書いて演出しているのはアメリカ、その筋書きによって生命を懸けて舞台で踊らされているのが日本と蒋介石だ。ということで、この事変の鍵を握り且仲裁をしてくれる事の出来るのは、アメリカしかないということになる。そこで始まったのが日米交渉である。


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