二、大東亜戦争の原因と経過

(九)終  戦



硫黄島に続く沖縄第三十二軍の玉砕により、戦局は破滅的様相を呈して来た。八月十四日の最後の御前会議でポツダム宣言受諾が決定された。一般には「御聖断」と言われておるが、正しくは「御聖断」を仰いで政府が決定したものである。陛下はこのとき、先の開戦の御裁可のときの御決意そのまゝに、戦争終結の大責任を、御身を以て担う御決意を遊ばされたのである。




大東亜戦争終戦ノ「詔書」




朕深ク世界ノ体制ト帝國ノ現状トニ鑑ミ、非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ、茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。

朕ハ帝國政府ヲシテ、米英支蘇四国ニ對シ、其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ。抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ、万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ、皇祖皇宗ノ遺範ニシテ、朕ノ拳々措カサル所、曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦、実ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ、他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ、固ヨリ朕カ志二アラス。然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ、朕カ陸海將兵ノ勇戰、朕カ百僚有司ノ励精、朕カ一億衆庶ノ奉公、各々最善ヲ尽クセルニ拘ラス、戰局必スシモ好転セス、世界ノ体制亦我ニ利アラス、加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ、惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル。而モ尚交戰ヲ継続セムカ、終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス、延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ。斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ、皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ。是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ。

朕ハ、帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス。帝國臣民ニシテ、戦陣ニ死シ、職域ニ殉シ、非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ、五内為ニ裂ク。且戦傷ヲ負ヒ、災禍ヲ蒙リ、家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至りテハ、朕ノ深ク軫念スル所ナリ。惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ、固ヨリ尋常ニアラス。爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ、時運ノ趨ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス。 朕ハ茲ニ國体ヲ護持シ得テ、忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ、常ニ爾臣民ト共ニ在リ。若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ、或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ、為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ、朕最モ之ヲ戒シム。宜シク挙国一家、子孫相伝ヘ、確ク神州ノ不滅ヲ信シ、任重クシテ道遠キヲ念ヒ、総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ、同義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ、誓テ國体ノ精華ヲ発揚シ、世界ノ進運ニ遅レサラムコトヲ期スヘシ。爾臣民、其レ克ク我カ意ヲ体セヨ。


        昭和二十年八月十四日       御名 御璽





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