四、パール判事の正義感



極東国際軍事裁判所十一名の判事の中只一人インドのラダビノッド・パール博士判事が一二七頁にわたる厖大な判決書を認めて、堂々と日本の無罪と正当性を主張した。その内容の要点は次のとおりである。

  1. 支那事変以来、米英両国は中立国の国際法上の義務に違反して、公然と蒋介石政権に対し、経済的にも多大の援助を与えた。これは明らかに日本に対する挑発行為である。

  2. 支那事変の末期、米、英、支、蘭等四ヶ国が共同してA、B、C、D包囲網を作り、日本を経済的に封鎖した。特に日本に対する石油の全面禁輸をしたことは、日本に対する挑戦行為である。

  3. 米国は開戦前の十一月二十六日、日本に対し、最後通牒を突きつけた。その第三項に「日本は中国及佛印の全土から陸海軍と警察力を全部撤退するよう」要求した。これは明らかに日清、日露両戦役の結果、日本が正当に得た権益を捨てることを要求するもので、この要求は宣戦布告と同様である。

  4. 米国は十一月二十七日前哨地帯の諸指揮官に対し、戦闘態勢に入るよう秘密指令を出した。事実上米国はこの日に対日戦争を開始したことになる。米国議会はこの事実を知って非常に驚き、上下両院合同の査問委員会を結成して軍部の挑発行為を厳しく非難した事実がある。


パール判事のこの判決書だけでも、大東亜戦争は誰が仕掛けたのか、侵略戦争か防衛戦争であったかが一目瞭然である。

日本人のことごとくがキーナン検事の論調に便乗して、日本人の死屍を鞭うっていた時、彼はただ一人、不屈の精神を以て日本の無罪を主張した。判事パール博士はいまは帰らぬ人となったが、日本人としてその判決書の内容は後世にまで伝えねばならない。又この判決書こそは将来、東京裁判を推翻するのに最も役立つ重要な文献である。


パール博士は「戦勝国は敗戦国に対して憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る。しかし勝者が敗者に与えることができない唯一のものは『正義』である」。更に日本国民に左の金言を贈くられた。

「欧米諸国は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の十七年間の経緯を、罪悪と烙印することが目的であったに違いない・・・・・・・・・・私は一九二八年から四十五年までの十七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には恐らく日本人の知らない問題もある。それを私は判決文の中に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかる筈だ。それなのにあなた方は、自分等の子弟に「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史をどうか私の判決文を通じて充分研究して頂きたい。日本人の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流れて行くのを、私は平然と見過ごすわけにはいかない。あやまられた彼等の宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き改めねばならない。」


パール判事の言う如く、今こそ日本国民は欧米や中国の日本誹謗の戦時宣伝を払拭して、歴史の真実を探求し、歴史の真実に開眼すべきである。


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