私・・・通州事件というのはね、蘆溝橋事件から三週間 後の七月二十九日に、北京の近くの通州で起きた中国 兵による大規模な日本人虐殺事件で、二百数十名の日 本の子女達が、見るも無残に虐殺された事件だよ。
私・・・居たことはいたんだ。しかし偶々守備隊の大部 分が別の場所へ戦闘に行っていて、通州にはごく僅か の留守部隊しか残っていなかった。通州には親日的な 殷汝耕氏を委員長とする自治委員会が昭和十年十一月 から出来ていて、中国の保安隊も形の上ではその隷下 にあったわけだから、日本軍も或る程度安心していた のではないかな。それが日本軍の手薄を知って突然寝 返ったわけだ。
私・・・飼い犬とまでは行かなかったかも知れないが、 とに角多勢に無勢、日本軍は死力を尽して戦ったもの の、それ以上は何も出来なかった。その間に殷汝耕氏 は拉致されるは、日本の子女達は虐殺されるは・・・・で、 大変なことになってしまったわけだ。
私・・・うん、あんまり凄いんで、言うのも憚られるん だがね。女という女は全部裸にされて辱しめを受け、 その上、局所を切り取られたり、箒を押し込まれたり していたそうだ。そのほか鼻に牛のように針金を通さ れた子供や、目玉をくり抜かれた人など、見るも無修 な情況だったようだ。
私・・・中国兵には時々、そういう猟奇的な殺人が集団 的に見られるようだね。日本の兵隊はそういう殺し方 はまずしない。一刀両断バサッと斬るとか、銃剣で一 突きで殺すとか、ホラ、テレビで見る昔の戦争のやり 方さ。そのへんが国民性の違いかも知れないがね。と に角ひどい殺され方をしたわけさ。
私・・・そうだよ。日本の世論は轟々として悪逆無道の 中国討つべしという声が高かった。しかし、それでも 日本はまだ不拡大方針を変えなかった。そこへ今度は、 上海で大山海軍中尉らが虐殺されるという事件が八月 九日に起き、それをきっかけとして八月十三日、遂に 上海事変が勃発した。中国は全国総動員令を下して日 本と全面的に戦う姿勢を示し、日本もやむを得ずこれ に呼応して戦うことになったのだよ。
私・・・当時蒋介石政権の首都は南京にあった。だから 南京さえ落せば、戦争は終ると考えていた日本人も随 分居たと思うね。しかし蒋介石の国民政府は、南京が 陥落する前に主だった人達は皆南京を放棄し、首都を 重慶に移して徹底抗戦を唱えた。
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