終戦時の混乱





孫・・・それにしても終戦の時は、日本は大混乱したん でしょうね。


私・・・知っている通り、八月六日には広島に原爆が落 され、九日にはまた長崎にも原爆が落された。それと 同時に、八月八日にはソ連が日ソ中立条約を一方的に 破って、満州に侵入して来た。沖縄は既に落ちて、本 土決戦か降伏かの瀬戸際での原爆投下とソ連参戦は、 日本政府にギリギリの選択を迫ったわけだ。

結局八月十四日の御前会議(天皇陛下の前での最高 会議)で、天皇陛下が自らポツダム宣言の受諾を決断 され、八月十五日にあの有名な御自身のお声による放 送があって、終戦になったわけだ。

ポツダム宣言受諾で一番心配されたことは、戦勝国 が国体の変更を迫るのではないかということだった。 国体って分るかな。国民体育大会のことではないよ。 英語でConstitution、国柄とか憲法とか言う意味だ。 日本の場合は、明治、大正、昭和と、代々天皇が日本 を統治して来られた。これから先もずっとそれが続く・・・・ これが日本の国体とか国柄とかいうことだ。

ポツダム宣言ではそれが明記されていなかったので、 万一国体の変更を迫られるようなら、たとい玉砕して でも最後まで戦うべきだという意見の者が多かった。 しかし昭和天皇は、「私の身がどうなろうとも、この いくさは止めなければいけない」と仰っしゃって、ポ ツダム宣言を受諾された。

それでも天皇陛下をお守りする立場の近衛師団の将 兵の中には、玉音放送のレコードを奪って何とか放送 が中止になるよう策謀したり、師団長を殺してまで飽 迄戦いを継続しようという一団もあったりして、全員 賛成で終戦になったわけではなかったが、とに角昭和 天皇のご裁断によって、日本軍はすべての戦斗行為を やめたわけだ。

玉音放送が行なわれるや、皇居の前には続々と人が 集まり、脆いて号泣する者、力不足をお詫びする者等々 が後を絶たなかったようだ。当時の朝日新聞なども、 そのことを感激を以て大きく書き立てている。

中には愛宕山などで、「申し訳ない」と言って集団 自殺した者も居るのだよ。



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