反対者の意図を見抜こう



私ども戦友連は、靖国神社国家護持運動は主義・主張・宗教を超え、お互い生き残った戦友として亡き戦友、ご遺族に対する責務を純真な気持で果そうという考えでやって参りましたし、今後もその気持には何ら変りのないところでありますが、昨今この靖国神社問題を日本の国体と伝統を否定する革命的イデオロギーの面からとりあげ、激しい反対運動を展開し、かつ中共からも軍国主義復活の証拠とまで論評され、内外呼応してわが国論を分裂せしめんとする情況に至りましたことは、まことに遺憾とするところであります。

このような世界観やイデオロギーを異にする者との論争は、徒らに平行線をたどるだけであり、かつ純粋にであるべきこの運動をますます左右対立の渦中に巻き込むだけで、亡き戦友たちも望むところではあるまいと推察するものであります。

然しながら彼等はあらゆる面からもっともらしい理屈をつけ、一般国民の戦争アレルギーと、人種あって国家なし、の戦後風潮を巧みに利用した宣伝に狂奔しておりますので、一般国民がこれに惑わされることは何としても防がねばならないと思うものです。

これがために私共自身がこの運動に対する根本理念を堅持し、これら反対論にひそむ野心と論旨の矛盾性とを看破し、かつ進んで靖国神社国家護持の理念と英霊の意義とを広報し、一般国民の方々が誤った宣伝に同調せらるることのないよう、一層の努力をすべきものと存じます。







戦争! 同民族にしろ異民族にしろ、お互い殺し合う行為を善とする者はおそらくありますまい。中東戦争、ベトナム戦争、あるいは国共内戦にしろ、戦争を是認し、相手を殺戮することに喜びを見い出す者はないでしょうが、戦争行為は現在といえども遺憾ながらこの地球上から消え去りません。

喧嘩両成敗ではありませんが、戦争の原因は複雑であり、一方だけを非難するだけでことたるものではありません。大東亜戦争にしろ、大いに反省することは大切でありまた反省しなくてはなりませんが、一方的に日本だけが悪者であるとの考え方は如何なものでしょうか。また、日本人自らが非難するだけで果して世界の平和が確保できるものでしょうか。

戦争は悪である。然しながら戦陣にたおれたわれわれの戦友は、日本民族の興亡を膚に感じた当時の情況において、民族の平和と繁栄を念じて尊い身命を国に捧げられたのです。

英霊は、日本民族が平和を愛し、世界人類平等の立場においてますます繁栄することを念じておられるのであり、二度、三度あのような不幸な戦争を国民に期待しておられるのではないものと信じます。この英霊の心を偲び、国家国民として、このような尊い犠牲を再び生じないように祈ることこそ平和のために必要であり、英霊を忘却し、あるいは犬死と決めつけることが平和の維持につながることは決してないものと信じます。

われわれが『靖国神社は平和のシンボル』とするゆえんもっこにあります。


(昭和四十六年三月)








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