政治不関与にとらわれ過ぎるな



われわれ戦友連が靖国神社国家護持の実現を唯一の目的としていることは、今更蝶々弁ずるまでもない。

と同時に、戦友連を構成する各戦友会の性格からして、戦友連が従来、細心の注意をもって政治に介入することを避けてきたこともご承知の通りである。

しかし靖国法は政治の場を通して成立されるもので、この意味においては、われわれの運動が、もともと政治と深い関係にあることは申すまでもない。

こうした点から、戦友会の中には戦友連の運動に疑問を持ち、加入を躊躇するものもあるようだが、おそらく、これら戦友会の方々、特に世話人の方々の考えは、靖国神社の英霊を思うことにおいて人後に落ちるものではなく、従って靖国神社を国家で祀ることには賛成だが、さりとて政治に巻き込まれるのはごめんだ、ということだろう。その証拠に、戦友連に加入していない多くの戦友会が、年々盛に靖国神社で慰霊祭を行なっている。










戦友連は結成以来ようやく満四年を迎える。靖国法の早期実現を唯一の目的とする戦友連にとって、この四年間はようやくどころの話ではないと叱声も出ようが、団体結成以来の歴史としては決して長いものではない。しかし戦友連は四年前に突然生れ出たものではない。その下地とも言うべき期間が相当長くあったことを見逃してはならない。

われわれ戦友会は、長いものは十年、二十年の昔から毎年靖国神社で慰霊祭を行なってきた。そして、ひたすらに英霊を弔い英霊を偲び、英霊の志を無にしないことを誓ってきた。

だが歳月の流れは世情を大きく変え、われわれに、慰霊祭を行うことのみで満足出来ない何物かを感じさせた。

ただ単に慰霊祭を行うことのみで、果して英霊の志に添うことが出来るのだろうか?

これでは単なる自己満足に陥っているのではないか?

真の慰霊とは?・・・・・・・・・・
という反省が、次第にわれわれの頭を埋めるようになったのである。こうした反省が下地としてあったからこそ、靖国神社国家護持を中心に、期せずして戦友連が結集されたのである。










そもそも現代の民主国日本において、国家的問題で政治にかかわりない問題は一つもない。道路一本作るにしても、政治の場で決定されなければ日の目を見ない今日、われわれがただ「政治に関与したくない」という気持にとらわれて靖国法成立を傍観することは、結果として英霊の志を無にすることになりはしないか。「われわれは真の慰霊は英霊の志を生かすことであり、決して供養さえしておればよいというものではない」と信ずる。

ここで明確にしておかなければならないことは、「政治に関与する」という言葉の解釈である。申すまでもなく、戦友連は政治団体ではない。従って特定の政党を支持したり、特定の政治家と密着したり、あるいは特定の候補者を立てて議会に送り込むようなことは為すべきではない。また戦友たちが一番警戒するのは、戦友会が政治家に利用されたり、あるいは誰かの政治的野心を遂げる踏台にされることである。

こうした見解のもとに、極力政治関与を避け、しかも、本来政治性の強い靖国法成立に努力しようとするのが戦友連の考えであり、会の目的を靖国法成立一本にしぼった理由もここにある。










ところで去る七月八日、田中総理が第一時組閣完了の翌朝真先に靖国神社に参拝されたことは、われわれに大きな希望を与えた。確かに田中総理は、佐藤政権時代の自民党幹事長当時から、靖国神社法成立に強い熱意を持っておられた。この点からも、田中総理に期待を持つことはあながち的はずれとは思わない。

しかし現在の政党の機構や自民党の体質を考えるとき、一人、総理総裁にその気があるからといって、何事もその意志のままに達成されると考えるのは早計である。野党はともかく、少なくも田中総理の率いる自民党議員の多くが総理と志を同じくしない限り、靖国法の成立はおぼつかないだろう。

ところが、今までにもしばしば指摘されたように、靖国法案が四度も廃案になった最大の原因は、野党の反対ではなく自民党内の面従腹背議員が足を引張ったためである。これらの議員は党内で暗躍するばかりでなく、われわれ国民に対しても、あたかも真実靖国神社法に熱意を持っているかのように見せかける。

時、たまたま投票を旬日余に控えて選挙戦の真最中である。靖国法はこの選挙において、真に靖国法に誠意ある議員を選出するか否かが成否のポイントいなるのではないか。前述の通り、戦友連はこの選挙で特定の候補者を推薦するようなことはしない。しかし戦友諸兄が個々に事態を見きわめ、靖国法に熱心な候補者を応援することは、われわれの目的達成上極めて重要なことである。やたらに政治不関与のお題目にとらわれず、日頃の念願をこの選挙に賭けることを祈念してやまない。










最後に附言したいことは、この選挙で各党が口をそろえて叫ぶ「政治の流れの転換」についてである。野党は政権の交代をもって政治の流れを変えるというが、われわれは真の転換は別のところにあると考える。今日の政治において各党が叫んでいることは、わが党はこうもする、ああもする、結構ずくめで国民を甘やかすことばかりである。このごろの日本人が要求することのみ多い自己主義者に変り果てたのも、こうした戦後政治家のあり方に起因するところが大きい。この点自民党から共産党まで同穴であり、これでは仮にどの政党が政権を取っても、政治の流れはその枠内にとどまる。

今日の日本の政治において最も大切なことは、国家道義を確立し、国民に自覚と責任を覚醒させることである。良薬は口に苦しと言うが、国民にあえて苦言をする勇気ある政治家の出現こそ、真に政治の流れを変えるものと考える。この意味からも、靖国法の真の意義を理解し、その実現に努力する政治家を選ぶことは、単に靖国法の成立に止まらず、日本政治の転換のきっかけとなることを信じて疑わない、


(昭和四十七年十一月)








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