政教分離






次に、政教分離に関する問題について、(いささ)か所見を述べてみたいと思う。

政教分離の為に靖国神社以外に国立の墓地など宗教から離れた戦没者慰霊追悼の場を建立するのがよいと主張する向きもあるが、これとてもその建立の主旨及び性格・理念は、神社宗教のものと何等変りはなく、従ってそれの意味はない。

幾年か前に、靖国社頭で数珠をつまぐりつつ参拝している老夫婦を見かけたことがある。感動して涙した一光景であった。八百萬神信仰と理念を同じくする神社宗教においては、儀式以外は、仮令(たとえ)十字を切って参拝しても何等不都合はないのであるが、新しく設けられた追悼の場にもこうした情景を見るであろうことは必然であって、立派な宗教施設である。そして国立となすときは、国家護持であり、日本全地域宗教であって、如何なる施設を作っても是等に変りはないであろう。そして、そこに主張する「政教分離の為」という名目は実の無いものとなるのである。思えばここにも政教の完全な分離に矛盾を見ることが出来る。






抑々、慰霊を行わんとして祈りを捧げる心は宗教心であって、その行為は宗教行事である。献花・礼拝等皆然り。即ち宗教から全く離れての慰霊は存在しないのである。このことはひとり日本のみならず、世界の何れの国においても同様である。例えば米国のアーリントン墓地・無名戦士の墓なども、国立であり、国家護持であり、軍隊によって警備され、公式参拝も行われ、政治的取扱いも受けているが、それと共に神父による宗教行事に依って慰霊が行われているのである。

又、同じく政教分離の為に、靖国神社から宗教性を無くすることを唱える向きもあるが、これは政治の為に、ここに祀られている神霊を追い出すことを意味し、霊魂に対して非礼極まりないもので、言語道断と言うべきであると共に、政教分離どころか、政治による宗教支配の結果を生むであろう。

それと共に、非宗教化された慰霊行事は神霊不在の空虚な形式丈の儀礼となって、祭祀の尊厳も慰霊の真実も失われ、真心も伴わず、真の慰霊とはならず、無意味な行事となるのである。このことは、慰霊碑など如何なる慰霊の場についても言い得ることである。そして尚、こうした考え方は他の宗教団体の中にも多くある処である(昭和55.10.7.毎日新聞参照)。






戦没者の霊は、その帰依する宗教に違いはあっても、我が国古来の、大いなる寛容性を持つ神社宗教の特性(性格理念主旨)から、この宗教のもとに祭祀するのが最もよいとされて来たのである。勿論戦没者達も同様の考えであって、昇天のその時より、日本国の鎮守としてここに靖国神社に鎮まり給うことこそ望んで居られたのである。 かくて、英霊達がかみしずまり給うこの御社を放棄し、神社宗教を離れて英霊を他に移し奉らんとし、或は神霊不在の儀式を行わんとするは、英霊の御心(戦没者の遺志)を無視するものであって、生ける人間の欲望の都合による、得手勝手な不敬極まりない所業であり、『慰霊』などを口にするもおこがましき限りのものであろう。吾々、多くの戦友の死をまのあたりにして来た者には、このような不敬な行為は考えも及ばないことである。

政教分離は、歴史上にも見られるような、政治と宗教の絡み合いや或は反目の故に弊害を生ずるような部面のみに限られるべきであって、矛盾を伴うような全面的完全な政教分離は望ましからぬものと思考する。






一国の政治を司るに当り、宗教の教えの中で、大いに政治に生かさなければならない処は多い。徳川家康公は「天下は御仏より預けられたものである。御仏の御心を体して政に当らねばならない」と説いたといわれる。『厭離穢土(おんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)』の旗を押し立てて天下を統一し、徳川三百年の平和国家の礎を築いたのであった。イスラム教国は、コーランが憲法であり政治であり道義である。キリスト教国は、聖書が憲法・政治・道徳・教育の基本になっているのである。そして、法主・牧師・神父等の政治活動も多く見られる処である。日本も昔は政教一致であった。そして前に述べた神社宗教の性格・理念に存する道義観念は、日本社会を発展せしむる精神的要素の重要な一つとなって来たのである。

政教分離論は、『公』を無視して一人歩きをし、行き過ぎとなってはならないものである。






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