祭神






次に靖国神社の祭神について(いささ)か思う処を述べてみたいと思う。

当神社は抑々戦争などの公務に殉じた人々を祭祀する御社である。ところで戦犯として各地で処刑された人達も、戦没者と同様に、当神社に合祀すべきは当然であると思う。即ちその人達が戦犯とせられた事情が事情であったのであり、『ひとみごくう』や『みがわり』となった人達が殆どであるからである。中には合祀不適格な人もあるかも知れないが、そういう人については常識の判断にまかせればよいと思う。私がここに特に取り上げてみたいと思うのは、こうした戦犯のうち、東京裁判に言われたA級戦犯なるものの合祀反対論についてである。






東京裁判が、それが当り前であるかも知れないが、敗者の言い分は全く取り上げられず、勝者の言い分のみを一方的に按し付けた不合理なもので、その不当性・不法性・虚構性は良識ある者の誰しもがよく識る処である。即ちその裁判によってA級と定められた犯罪内容、例えば『戦争共同謀議の罪』等は、国際法上にもなく、これ迄には考えられもしなかったもので、戦争犯罪として世界に通用しないものである。こうしたものがこの東京裁判の時点で、勝者によって一方的に規定され実行された不当なものであり、又清瀬弁護人の冒頭陳述にもあるように、遡及適用(法律用語)という不法なものなのである。そして更に南京大虐殺の如く虚構性の甚しいものなのである(別著「参戦将兵達が語る南京大虐殺の虚構と実体」)。そして又、東京裁判に言われたA級戦犯なる罪料は、日本人からバックボーンを抜き去り(骨抜き作業)、以て日本占領目的達成を容易ならしめんが為に捏造されたという一面を持つものであることに刮目する必要がある。更に又この裁判は、そこに処刑された方々の遺骨が遺族にも渡されず粉々にして太平洋に撒かれた一事を以てしても、如何に怨恨のもとに行われた報復行為的な誤れる裁判であったかを窺い知ることが出来るのである。(ちなみ)みにこの裁判を指揮したマッカーサー司令官でさえ、その二年後の十月十五日のウエーキ島会談に於て、トルーマン米大統領に対し、「東京裁判は誤りであった」と報告しているのである。()くの如く東京裁判が誤りであり不当である以上、そこに決せられた所謂A級戦犯なるものは否定されるものであり、存在しないものである。従って、現今、他国も含めて盛んに唱えられているA級戦犯合祀反対論に根拠はないということになるのである。

尚付言すれば、講和条約発効後、戦犯赦免やその遺族に対する年金・恩給の支給など行政的復権がなされているが、是等も東京裁判の誤りを正したと言うべきものであり、当然のことである。






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