靖國神社の祭神は
二百四十六万余柱の戦没者です
戦没者は奉仕の権化、平和のシンボル
わが国の今日の平和と自由、そして、かげりが見えて来たとはいえ、その繁栄は何と素晴らしいことでしょう。しかし、この平和と繁栄は、口で平和、平和と唱えておっただけで得られたものではありません。国民一人一人が、愛する祖国、愛する同胞のために奉仕する心と行動、時としてその身をも犠牲にする覚悟が必要だったのです。
戦争で雄々しく戦って亡くなられた方々(英霊)は、まさに、その尊い生命を、愛する祖国と同胞のために犠牲にされたのです。これ以上の奉仕があるでしょうか。
この英霊の心を、同胞への奉仕の気持を、私たち国民が引き継いで行くことが、今日の平和と自由を永つづきさせるためには絶対必要です。靖國神社は、まさに『平和のシンボル』と申せましょう。
靖國神社は、明治二年(1869)の創建以来、国家によって祭祀されてきましたが、昭和二十年の敗戦後は、戦勝連合国(米・英・仏・蘭・濠・支・ソ連など)の占領政策により、国家の手を離れて今日に至っております。
連合国は、何故そうしたのでしょう。日本を弱体化するためでした。小国日本が世界を相手にして戦い、負けたりとはいえ勇戦敢闘、彼等の心胆を震え上がらせたからです。
それにしても、世界いずれの国に於ても、国家・民族のために犠牲となった方々は、それぞれ国の伝統習俗によって手厚く祭祀されておりますのに、わが国に於ては何故、独立回復後半世紀を過ぎても、そのような常識が通用しないのでしょうか。
国家・民族のために犠牲となられた方々に感謝もせず、その行為をないがしろにするような国が、 末永く独立を維持することは出来ません。そして、国の独立なくして、繁栄はおろか、自由も平和も得られないことは、古今東西の歴史が証明しておるとおりです。
戦没者の死の意義は、
歴史の真実を知ることによってわかる
日本がまだ連合軍の占領下にあった昭和26年10月18日、当時の吉田首相は靖國神社に参拝し、講和条約の成立を奉告しました。そして翌昭和27年4月28日、わが国は独立主権を回復しました。以来田中内閣まで歴代の首相は、春秋の例大祭には公式に参拝しており、この間、内外からは一言の批判もありませんでした。昭和50年11月21日には、終戦三十周年に当たり、天皇、皇后両陛下の御親拝もありました。
内閣総理大臣の靖國神社公式参拝が消えたのは、三木首相の時からです。その後昭和60年8月15日、中曽根首相によって一旦復活されましたが、中国から抗議があり、近隣諸国の国民感情に配慮してとの理由から中断され、平成13年8月13日の小泉首相の靖國神社公式参拝は、実に十六年ぶりのことでした。この参拝は本来は15日の筈でしたが、又もや中国の干渉により、繰上げとなったことは、首相自身の言葉の通り、真に慙愧の至りでした。のみならず、この時の談話が契機となって、靖國神社とは別個の国立の「戦没者追悼施設」の新設について、現在福田官房長官の下で『追悼懇』が無用の論議を重ねています。要らざる外交的配慮から中・韓両国に阿ねるかかる構想は、英霊を冒涜する以外の何ものでもなく、「戦没者慰霊追悼の中心的施設は靖國神社以外にはあり得ない」と信じている一般国民感情を逆撫でするもので、絶対に容認することは出来ません。今私どもは、憂国の国会議員と一体となって本構想の実現阻止に断固として立ち上がりました。
かかる渦中に小泉首相は、昨年8月の参拝に続き今年の春の例大祭に参拝し、江沢民中国国家主席の激怒を買いましたが、こんなことには恐れず、怯まず、とらわれず、今年こそ8月15日に靖國神社公式参拝を決行し、英霊に感謝の誠を捧げ自己の信念を貫徹して下さい。そして御親拝の道を切り開く先導役となって頂きたい。累卵の危機にある日本を救う構造改革の第一歩は「心の構造改革」であり、それは「靖國を守る心」の復活に象徴されるのであります。
そもそも、靖國神社への首相の参拝は純然たる国内問題であり、他国がとやかく口出しすべき事柄ではありません。にもかかわらず、日本政府が中国の度重なる抗議に屈してきたことは、独立国としてまことに恥ずかしい対応でした。それにしても何故日本はここまで落ち込んだのでしょうか。
これは明らかに、日本を骨抜きにしようと企んだ戦争連合国の日本弱体化政策、すなわち、『悪かったのは日本人だ』ででっち上げた『極東軍事裁判』― 東京裁判 ―の歴史観が、今や日本の指導層にまで浸透していることを物語っております。これでは、戦没者(靖國神社の祭神)は浮かばれません。殊にバブル崩壊以来「失われた十年」などと自虐して、わが国は物心両面にわたり自信喪失の状態にあり、今目覚めなければ、遠からず衰退滅亡してしまいます。
皆さん!! 私達はもっと歴史の真実を勉強する必要があるのではないでしょうか。そして、戦後たたき込まれた誤った歴史観(東京裁判史観)から目の鱗を落とすことが大切です。
今年はコロンブスのアメリカ大陸発見から丁度五百十年になりますが、この五百年間、現在世界の先進国と言われている欧米の白人諸国がどんなことをやって来たか。その、全地球的規模で行われた残虐、狡猾な侵略の真実を知るだけでも、私たちは戦後、彼らの謀略に乗せられていたことに気付くでしょうし、又、二百四十六万余柱の靖國祭神の死の意義を、はっきりと理解することが出来るでしょう。
全国戦友会連合会
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