百人斬り訴訟について







要旨



昭和12年の南京戦において東京日々新聞が「野田毅、向井敏明少尉が前線で中国兵を斬り倒し、百人斬りの競争をしている」と言う戦意昂揚の創作記事を4回にわたり掲載した。

戦後この記事が唯一の根拠となり、両少尉は昭和22年11月南京軍事裁判所で、捕虜・住民虐殺の罪で起訴、即日死刑を言い渡され、同年12月銃殺されたが、百人斬りの報道が虚報であるにもかかわらず、以後現在まで訂正されていない。

さらに本多勝一は昭和46年より朝日新聞に「中国の旅」を連載、その中で「百人斬り」を掲載しただけでなく、最近では書籍「南京への道」「南京大虐殺13のウソ」でも捕虜を据え物斬り競争をしたと実名入りの記述をして、死者に鞭打ち、遺族の人権を踏みにじった。この「中国の旅」が発端となって論争が起き、更に資料も発掘されて、百人斬りのウソが明らかになったが、本多はこれを認めず、名誉を毀損し続けている。

そこで遺族等は本年4月28日、我慢の限界を超えたとして、本多勝一、朝日新聞、毎日新聞(当時の東京日日新聞)、柏書房(南京大虐殺13のウソの出版社)を相手取り損害賠償と謝罪広告を求めて東京地裁に提訴した。以下訴訟までの経緯と訴訟の要旨につき説明する




1、報道



(1)当時の報道

◎昭12.11.30 東京日々新聞が両少尉は百人斬り競争を企てたと報道

◎12.12.4   第2報

◎12.12.6   第3報(野田89名、向井78名斬る)

◎12.12.13   第4報(野田105名、向井106名。更に150名斬りを目指すと写真入りで報道)


(2)朝日新聞;昭46.11.5 より本多勝一の記事「中国の旅」を連載し、二人は上官にけしかけられ、百人斬り競争を行ったと伝聞記事を掲載。

(3)本多はその他の著書「南京への道」「南京大虐殺13のウソ」でも同様の記事を載せた。




2、冤罪と判明



(1)月刊誌「諸君」昭47年1月号〜48年10月号でイザヤ・ペンダサン、鈴木明、山本七平が「百人斬りは虚構」と論評。更に鈴木明、ペンダサンは自著でも虚報と発表した。

(2)昭和46年田所千恵子(向井少尉の娘)は両少尉に対する判決文を含む資料を法務省から入手し、その一部が平成12年1月産経新聞と月刊誌「正論」に公開され、これにより南京軍事裁判の不公正さが明らかになった。

(3)平成13年3月野田マサ(少尉の妹)は野田少尉の遺品の中から少尉の手記を発見、その中に東京日日新聞記事の真相は浅海記者に持ちかけられた創作であったことが記されており、その内容が「正論」平成13年8月号に掲載された。

(4)浅海記者は南京の軍事法廷に説明書を提出し「百人斬りは住民・捕虜に対する残虐行為ではありません」と弁護している。

以上の論争を経て我が国では百人斬りが虚報だったと判明したが、関係者の謝罪はなかった。




訴訟の内容



(1)原告:向井少尉遺族(田所千恵子、エミコ・クーパー)野田少尉遺族(野田マサ)

(2)被告:本多勝一、朝日新聞社、毎日新聞社(元東京日日新聞社)、柏書房

(3)訴因:上記3書籍の中で、百人斬りに関する記述が原告等遺族の名誉を毀損しているから「出版の差し止め」「謝罪広告」「損害賠償」を求める。

以上









百人斬り訴訟トップ