「百人斬り競争」訴訟を、
なぜわたしたちは支援するのか







昭和12年の初冬、上海を制圧した日本軍は南京を目指し、それを伝える新聞がいっそう注目されだしたころ、ふたりの将校の間で、どちらが早く百人の中国兵を斬るか競争が行われている、という記事が東京日日新聞(現在の毎日新聞)に掲載されました。

四回にわたって報じられた記事によれば、向井敏明少尉(26歳)と野田毅少尉(25歳)というふたりで、一時は89対78で野田少尉が勝っていたけれども、やがて向井少尉が106対105で逆転したという勇ましいものでした。

まもなく、日本軍は南京を落とし、その話は南京の戦捷の中に忘れ去られます。

それから十年たった昭和二十二年秋、突然、ふたりのところに日本の警察官がきました。

そして、市民を斬り殺したという理由で逮捕され、中国に送られてしまいます。

その一年前、向井少尉は東京裁判の検事から百人斬り競争について事情聴取されましたが、記事が創作だったことを説明して疑いを晴らすことができましたので、記者が真実を話すなら、簡単に釈放されると信じ、家族に記者を探すよう頼みました。しかし当の記者は、死刑判決後、斬るのは見なかったとの書類を出したものの、記事が創作であるとは書きませんでした。そのため記事が唯一の証拠となってふたりは銃殺されてしまいます。

さらに二十三年がたち、今度は本多勝一記者が、ふたりの将校は殺人ゲームを行っていたという中国人の話を新聞に書きました。

このとき、改めて、ふたりは戦意高揚の記事のために処刑されたことが明らかにされましたが、朝日新聞と本多勝一記者は、その記事を単行本にし、さらに平成十一年、本多勝一氏は「南京大虐殺否定論13のウソ」(柏書房)にも書き、しかも途中からは、ふたりが捕虜の据え物斬り競争をしたと書くようになりました。

こういった報道や著作により、向井敏明少尉のふたりの娘さんと、野田毅少尉の妹さんは、半世紀もの間、精神的にいためつけられ、さまざまな苦労を味わわされました。

また、ふたりの将校の写真は、等身大に拡大されて南京大虐殺記念館にかかげられ、最近は盧溝橋記念館にも展示されはじめ、遺族はさらなる苦痛をしいられています。

このようなことから、ついに三人は、記述の訂正と謝罪を求めて、毎日新聞、本多勝一記者、朝日新聞、柏書房を訴えることにしました。

本田氏らは、いわれなく遺族を苦しめつづけ、恬として恥じることなく、知らん顔をきめこんでいます。遺族と同じ国民であるわたしたちは、それを黙って見ているわけにいきません。三人の遺族を物心両面から助けたい。これが支援する理由です。

この考えに賛同していただける方は下記にご連絡ください。会報をお送りします。また、支援金をとお考えいただける方は下記にお振込みくださるようお願いいたします。

〒102-0093 東京都千代田区平河町2-16-5-302 高池法律事務所

E-mail:eirei@delux.ocn.jp
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みずほ銀行:町村会館出張所 普通013-2484988  南京戦向井野田両少尉の遺族を支援する会

郵便振替00110-4-546440  南京戦向井野田両少尉の遺族を支援する会





平成15年5月吉日 南京戦向井野田両少尉の遺族を支援する会(代表 阿羅健一)



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