仕掛けられた支那事変
米・英の後押しで長期化





孫・・・何でアメリカやイギリスは、そんなにムキになっ て蒋介石軍を助けたのですか。


私・・・それは、日本と中国が仲良くなって、日本が中 国の中で大きな地盤を占め、アメリカやイギリスが既 得権益を失うことを恐れたからさ。

今も上海へ行って観光バスに乗ると、ここは昔のイ ギリス租界だとか、フランス租界だとか説明してくれ る。租界って何だか知っているかい。租界というのは 一種の植民地で、治外法権といって、中国政府の力の 及ばない所なんだよ。イギリスもフランスも色々な言 いがかりをつけて、中国の中に租界という名の植民地 をつくった。そしてそこを足がかりにして、中国の中 に権益を拡げようとした。それが日本の進出によって、 反古になりはしないかと心配したのだよ。

アメリカ人もイギリス人もフランス人も、アジアは 白人に対して資源を供給すべき国々、白人に隷属すべ き国々と思っていたのだよ。それを同じアジアの有色 人種である日本が引っかき廻すことには、どうにも腹 の虫がおさまらなかったのだろうね。



孫・・・しかし中国と戦争を始めたのは日本でしょう。


私・・・それが違うのだよ。中国との間にいわゆる日支 事変が始まったのは、昭和十二年七月七日夜の蘆溝橋 事件が発端だが、これが何とも不思議な事件なんだね。 蘆溝橋というのは北京の郊外の地名だが、そこで日本 軍は協定にもとづいて、いつものように夜間演習をし ていた。そして演習を終えて、いざ引き揚げようとし ている所へ、突如数発の銃弾が打ち込まれた。



孫・・・それで日本軍が応戦したんですね。


私・・・いや、中々応戦はしなかった。詳しいことは、 この中村粲教授の「大東亜戦争への道」を読んで貰う とよく分るが、中国側に抗議して、二度とこのような ことが起こらないよう厳重に申し入れた。ところが交 渉の最中、最初の一発から約七時間後に、中国側は猛 射を浴せて来た。それでやむを得ず応戦したわけだ。



孫・・・最初の一発というのは何だったんですか。



私・・・それがよく分らないんだよ。当時あの地区の警 備に当っていたのは、蒋介石の国民政府軍だったわけ だけれども、その他に共産党の率いる八路軍というの があって、共産党は日本軍と国民政府軍を戦わせて、 両方が疲弊することを望んでいた。最初の一発はどう やら共産党軍兵士によるものだという説が、今のとこ ろ濃厚のようだね。



孫・・・そうすると、そこで日本軍が応戦して、どんど んどんどん戦線を拡げて行ったわけですね。


私・・・そうじゃーないんだよ。日本側はできるだけ不 拡大方針を立てた。ところが中国側からの不法攻撃は 繰り返され、とうとう通州事件という、大惨事が起った。



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