ビルマ独立と日本軍





孫1・・ビルマはどうなんですか。


私・・・ビルマもイギリスの侵攻に敗れて、明治十九年 以来イギリスの植民地になっていた。印度と同じよう に何とか独立したいと願っていたわけだ。

大東亜戦争の始まる一年程前に、ビルマには「ビル マ独立三十人の志士」と呼ばれる青年達が居た。リー ダーはオンサン―――軍事政権に反対して現在軟禁され ているスーチーさんのお父さんだ。これらの青年連は 何とか祖国を独立させたいと思って、英国官憲の目を 盗んでビルマを脱出し、日本の庇護を求めて来たんだ。

そこで日本では鈴木敬司大佐を長とする「南機関」 というのを作って、海南島という所で徹底した軍事訓 練を施した。そして日本軍がビルマに進攻した時には、 彼らはビルマ独立義勇軍というのを結成して一緒にビ ルマに入った。ビルマ人達は歓呼を以て日本軍とビル マ独立義勇軍を迎えたわけだ。

大体ビルマも日本も佛教国で、ビルマ人も日本人も 皮膚の色は似ているし、日本人に対して非常に親近感 があるんだね。イギリス軍はビルマに居た時も、部落 から離れた所に自家発電付きのキャンプを作って、ビ ルマ人とは無関係の生活をしていたけれども、日本軍 はビルマ人の部落の中に民宿したりして、ビルマの人 達と親戚のようにつき合ったものだ。だからビルマ人 で英語を話す者は、英人に使われていた極く一部のビ ルマ人に限られていたけれども、日本語は大抵のビル マ人が覚えてしまったし、日本兵の中にもビルマ語の 片言を話す者が沢山に居た。今でも慰霊巡拝のために ビルマを訪ねると、"見よ東海の空明けて"とか"真 白き富士の"とか、大抵の日本人が忘れてしまった昔 の歌を歌ってくれて、感激したり赤面したりするよ。

おじいさんは軍医だったから、英軍の爆撃で怪我を した人の手当てもしたし、逆にビルマの薬用植物を教 えて貰って、兵隊さんに使って結構役に立ったことも あるよ。

最後は日本軍の撤退作戦で、ビルマ全土が戦場にな り、ビルマ人にも沢山の犠牲者が出たと思うが、結局 はこの戦争がキッカケとなって、ビルマは英国から独 立した。ビルマ人も沢山死んだろうが、日本兵はその 何十倍、何百倍と死んだわけだ。

戦後、ビルマ政府は、南機関の鈴木敬司大佐以下七 名の日本人に、独立の勲功をたたえる最高勲章である 「オンサン徽章」というのを贈った。もっとも鈴木大 佐は少将になられて後、既に死んで居られたので、未 亡人に贈られたんだがね。そのくらいビルマは、日本 を怨むどころか、独立は日本のお陰だと感謝している んだよ。



孫・・・なる程。印度もビルマも日本に感謝しているん ですね。そのほかの国はどうなんですか。




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