形式的精神主義は危ない



八月のある新聞にこんな記事が載っていた。

毎年日本武道館で行なわれる全国戦没者追悼式の墓標は米材(アメリカ輸入の木材)であるが、追悼式のシンボルたる墓標に日本材を使用しないのは英霊冒涜であるとし、某団体青年部の幹部が厚生省に厳重抗議を申込んだところ、厚生省は「あれだけの角材を日本材で作ることは大変なことで、かつ費用の面でも非常に高価になるので予算が許さない。」と答えたというのである。

一見まことに些細な記事で、取るに足らんことのようだが、私は何か空恐ろしい気がしてならなかった。

墓標は英霊の象徴だから米材ではけしからんという考え方、その発想の根源に、かつて日本人が歩んだ道に通ずるものを感じたのは私だけだったろうか。










満州事変から支那事変、そして大東亜戦争へと戦局がエスカレートするにつれ、日本の国家主義、国粋主義傾向はヒステリックに高められて行った。横文字を使うものは非国民、神社の前を通るときは最敬礼、火事で御真影を焼いたからといって校長が自殺、・・・こんな例は枚挙にいとまがなかった。

軍隊でもそうだ。”天皇陛下”という言葉が出るたびに直立不動、軍人勅諭をまる暗記出来ないといって叱られ、戦陣訓が暗誦出来ないといってビンタが飛んだ。

かくて、すべてが気違いぢみた精神主義に押し流され、奈落の底へ落ちていったのは遂この間のことと思ったら、またぞろ同じ傾向の発想が、しかも戦争をほとんど知らない青年の中に芽生えてきたのだから恐ろしい。

しかし責めるべきはこの青年幹部だけではない。ある暑い夏の日の夕暮れ、戦友達が靖国神社の参道で署名と広報活動を展開していた。そこへ一人の戦友が参詣に通りかかり、顔見知りの仲間がやっているので声をかけ、一言二言話して行き去った。彼の服装が開襟半袖に半ズボン下駄履き。後で蔭の声氏曰く「いやしくも戦友たるもの、お参りにあの格好とはけしからん」

だが物は考えようで、お参りにすら来ない戦友の多い中に、近所とはいえ、お参りしてくれただけでもありがたいと思うのだが・・・。

ともあれ、こんな卑近な一例にも前者に共通した精神主義がありはしないか。だから問題は他人事ではなく我々の身近にある。










私はこうした精神主義を形式的精神主義と呼んでいる。一見まともな精神主義のように見えても、実は形式主義なのである。

しかもこの形式主義は精神主義の仮面をかぶっているので始末が悪い。本人が大真面目なのはもちろんのこと、うっかりすると側の者までがその気になってしまうからである。だからこそ、国を滅ぼすほどの大失敗をやらかしたのだろう。

さて、精神主義の本物と贋物、これは一体どこで分れるのだろうか。私は物事の本質を把えているか否かが決定的な要素だと考える。思考の柔軟性―――物の本質を把えて末節に拘泥しない包容力―――こそ、正しい精神主義の真髄であろう。














ところで戦後の日本人は、戦時中の形式的精神主義の弊害に懲りて、正しい精神主義をすら軽蔑する傾向が強い。

私の卒直な意見を言うならば、アメリカの衰退は―――こう言ったらアメリカ人は怒るだろうが―――ベトナム撤退やドル防衛のような眼先の対策だけで防げるものではないと思う。なぜならば、アメリカの病根はもっと深い本質にあると思うからである。それは一口に言って、アメリカ人の物質万能、科学万能主義、言い換えれば精神主義を軽視してきた誤りが国民の精神を蝕んでしまったことである。

殷艦遠からず、日本もこのままではアメリカの轍を踏むこと、まず間違いないだろう。だからこそ私は、声を大にして正しい精神主義の復活を叫びたいのだが、世の多くの御仁は、「羹に懲りて膾を吹く」の譬の如く、真贋もろともに混同して甲羅の中に籠ぢこもろうとする。

ここにも物の本質を見極める英智、思考の柔軟性の欠如を痛感する。

かの「靖国神社国家護持は軍国主義につながる」という反対意見にも同じことが言える。軍国主義が靖国神社を利用したことはあっても、靖国神社が軍国主義を鼓吹したことはない。ある人が私の言を詭弁だと言うなら、私はその人に申上げたい。貴方は形式的精神主義者か、少なくともその肯定者ですね。なぜならば、かつて形式的精神主義者どもが、靖国神社の本質を見失って軍国主義に結びつけたと同じことが、必ず再現すると考えているようですから・・・・・・・・・・と。














形式的精神主義は、それが右翼的であれ左翼的であれ、ノンポリ的であれ、いつの世にも大きな弊害を残す。硬直した物の考え方がその特徴だが、動脈硬化的な精神主義は滅亡への一里塚に過ぎないのである。

もし形式的精神主義が靖国神社の国家護持運動にも浸透するとしたら、それはこの運動を破滅に導く結果になるだろう。

いやいや、国家護持の問題どころか、日本の破滅を招来する。


(昭和四十六年九月)








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