英霊は泣いている



汨羅の淵に波騒ぎ
巫山の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に吾れたてば
義憤に燃えて血潮わく




これは今から四十年ほど前、当時の心ある青年に愛唱された歌だが、何と、最近の世相に酷似していることか。歴史は繰り返すと言うが、何か不吉なものをさえ予感する。










日本の軍国主義は昭和六年の満州事変頃から台頭し、昭和十年頃から急激に天下を風靡した。しかし、これは軍部のみの責任ではない。俗に大正デモクラシーと呼ばれる大正―昭和初期の国内の紊乱、国民の不満が、その革正を軍部に期待したところに根因があった。軍部はその時勢に乗って増長し、たまたま緊迫していた国際情勢が一層それに拍車をかけたと見るべきであろう。

日本に限らず、いつの世でも、革命とか革新は、それが右翼であれ左翼であれ、大きな国民的背景がなければ実現するものではない。従ってわれわれは、ただ感情的に軍国主義の復活を毛嫌いするばかりでなく、その根源たる政治の貧困、社会の不満こそ憂うべきである。これが引いては、軍国主義復活のみならず、左翼革命をも防止することになる。

ちなみに、われわれはあの軍国時代に苦い体験を持つだけに、軍国主義の復活には極めて敏感に拒絶反応を示すが、左翼革命については極めて無関心、無防備である。しかし右翼にしろ左翼にしろ、権力によって国家を牛耳るところに自由はないし、国民の幸せはないことを更めて銘記すべきだと思う。

ところで、今日の日本における社会不満の大きな特徴は、繁栄の中の不満、富裕の中の不満ということである。ギリギリ明日の生活にも事欠く貧困から生れる不満よりも、国民の限りなき欲望から生れる不満の方が多いようである。従って、決して今日の政治を肯定するつもりはないが、さりとて、すべてを政治の貧困のみに押付ける現代の行き方も肯定することは出来ない。言い換えれば、国民側の責任の反省―――具体的には自己中心の我利我利精神を排し、人間道義の復活を計ることが必要だと言うことである。










靖国神社二百四十万の英霊は、日本民族の存続と久遠の平和を希い願って死んで行った。これは誰が何と言おうと間違いない。誰かが言うように、若し牛馬のように戦場へ駆り出され、尻を叩かれ、いやいやながら戦ったのなら、とてもあれだけの大戦は戦い抜けなかったはずである。

その英霊が夢見、念願した平和日本の姿、それは決して今日のようなトゲトゲしい繁栄ではなかったと思う。日本民族古来の暖かい人間性に立脚し、美しい人間関係の上に築かれた平和―――すなわち、物心両面に調和のとれた平和だったと思う。

靖国神社国家護持の問題は、この精神の問題である。英霊の示された尊い犠牲奉仕の精神を学び、英霊の希求された真の平和実現に努力する。これなくしては、如何に盛大な慰霊祭が年々繰り返されようとも、英霊は無念の涙に泣いているだろう。


(昭和四十八年十月)








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