☆戦後55年目の終戦記念日
「石原コール」に沸き立つ
靖 国 神 社


心配された台風も東の洋上に去り、戦後五十五年目の八月十五日は、薄曇りの中に夜明けを迎えた。この日、靖国の社頭は早朝から参拝者の群れが参道に溢れた。その中に、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の意義を天下に訴える靖国広報活動の準備に動き回る戦友連(全国戦友会連合会)・ビルマ英顕(ビルマ英霊顕彰会)の戦友たちの甲斐がいしい姿が、多くの人目を引いた。

かくして午前九時、「英霊にこたえる会」主催の第25回全国戦没者慰霊大祭が、拝殿を埋め尽くす千人に近い遺族・戦友の参列の下、厳粛且つ盛大に斉行された。続いて午前十時半、「英会」・「日本会議」共催の第14回戦没者追悼中央国民集会が、例年通り参道内特設テントで開会、昨年に引き続き再び繰り返された「野中靖国発言」や、「近隣諸国に配慮して参拝は行わない」との森総理の優柔不断さを難詰する堀江正夫英会会長の開会の辞に、会場は早くも憂国の至情に燃え上がり、30度を超す猛暑を物ともせず、テントを取り巻く人垣は次第にその数を増す一方であった。(一千五百名との発表あり)

今年の提言者として、百地章日大教授、藤岡信勝東大教授、板垣正元参議院議員の他、異色のタレント・国際的俳優藤岡弘が登壇し、「このままでは国が滅びる。己を犠牲にする武士道精神の復活こそ日本を救う道である」との熱弁を振い、大喝采を浴びたことが印象深かった。


正午、武道館の戦没者慰霊祭における天皇陛下のお言葉に合わせて、一同起立威儀を正して黙祷し、改めて英霊に感謝の誠を捧げた。

最後に、「一大転換期に直面している今こそ、政府は従来の屈辱的外交姿勢から脱却し、総理の靖国神社参拝を実現して独立国家としての威信と誇りを回復すべきではないか。本日、石原都知事は公式参拝することを正式に表明している。我々はこの都知事の英断を心から歓迎すると共に、政府に対して、総理参拝の速やかなる決断を強く求めるものである」との要旨の声明を採択して、感動の中に国民集会を終えた。


さて、石原都知事の参拝は12時30分頃と聞かされていたので、冷麦茶のサービスに大童な戦友や、靖国運動宣伝ビデオ『君にめぐりあいたい』の特別頒布に手を離せない担当者は別にして、頃合を見計らい多くの戦友は、知事の送迎の為に到着殿入口に向かったが、北門からの沿道は既に多くの群集で埋められ、我々は無理無理その列に割り込む仕儀と相成った。

知事の到着は12時33分であったが、恐らく警備上の理由からであろう、普段は使用されていない西門から入ってきたので、多くの出迎えの人々は知事を確認することはできなかった。参拝を済まして出てくる石原知事を撮影すべく、有利な位置にカメラの放列を敷く多くの報道記者と、できるだけ近くで見送りたい群集との間で一騒ぎがおこった。「朝日新聞は出ていけ」「TBSは引っ込め」などの怒号が群集の中から期せずして沸き上がる。彼らの偏向報道に対する鬱憤の成せる業と、同感を禁じえない。

やがて午後一時近く、到着殿を出て車に向かって知事は、数歩後戻りして代表者であろう一人の記者と会話を交わす。恐らく公的か私的かなどのつまらぬ問答であろう。笑顔で応答していた石原知事の態度は、一回り大きくなった政治家の姿を見る思いで頼もしかった。


翌朝の新聞で同知事は、「公人として参拝した。こんな事で騒ぎたてることはもう終わりにすべきだ」と明言したことが報じられている。産経新聞や読売新聞は第一面で大きく取り上げ、その英断を賞賛しているが、朝日新聞は例によって、第二面で小さく批判的に報道し、加えて中国の国営新華社の非難記事まで掲載している。又何をか言わんやである。

この日、閣僚の参拝は、前日参拝の一人を含めて十人で、そのうち公式参拝と断言したのは、保岡法相・森田運輸相・相沢金融再生委員長の三閣僚である。

一方、この意義ある日に広報活動に参加した人々は、戦友連・ビルマ英顕の戦友の他、戦友連青年部・日本青年遺骨収集団、その他友好団体を含めて百名を超し、夫々の分担業務に汗を流し、多くの成果を収めたことに深甚の敬意と謝意を表し、本報告の結びとする。


佐藤 博志 記


平成12年8月25日 戦友連379号より


【戦友連】 論文集