国家百年の大計を思う
  ―大東亜戦争開戦後 六十年目の八月を迎えて―



京大の中西輝政教授は『正論』10月号で、この春アメリカで出版されたロバート・スティネット著の『欺瞞の日ーパールハーバーの真実』を読んで、従来何度も聞かされていた「真珠湾奇襲はルーズベルト大統領の陰謀」説が、この本によって、決定的ともいえるいくつかの重要文書を含め膨大な新資料を発掘し、実証を重んずる歴史家の立場としても事実として肯定し得て、「五十年にわたるモヤモヤ」を払拭しきれたと述懐し、「二十世紀は、まさに歴史の正当性が最大限に重視され、プロパガンダを歴史として長期にわたって押しつけることが定着してきた世紀であった。どの国も、自国の当面の政策や対外戦略にとって有利な歴史を作り出しそれを維持することが、かつてのどの時代よりも重視される「阿漕なる世紀」、それが二十世紀であった。」と説く。

そして最近同教授が参加した、『二十世紀日本の戦争』の討論本の中で、一部の出席者(筆者注、秦郁彦拓殖大学教授)から、『ハル・ノート』に至ってもまだ日本側の努力で開戦は避け得たとする議論が出たことに驚かされたことを紹介し、それは「あの戦争」のすべてに対し、日本の邪悪さと愚かさに責めを帰せしめずにはいられない戦後史観が背景にあるように感じられたと述べ、端的に言えば、このスティネットの著書一つだけでも、この誤った「日本の戦争責任論」を粉砕できるのではないか、との中西教授の結論に同感を禁じ得なかった。


事実、日支事変の発端となった盧溝橋事件も、東京裁判で中共側が挑発したことが明らかになっているにも拘らず、日本側が仕掛けたとか、或いは単なる偶発的事件として、その真相を語ろうとしないのが日本の常識となっている。これを奇貨として、中国側は事件発端の地に「抗日記念館」を建設し、反日教育施設として中国人に活用するのみならず、最近の情報によれば、日中青少年交流団が訪中した時は先ずこの記念館に案内し、日本軍の侵略・残虐行為の何たるかを見せ、その洗脳教育から交流を始めるとのこと、この交流の発案者である小渕前首相は、地下で如何なる思いに耽っていることであろう。


先の中西教授は、本当の意味の歴史研究は二世代(六十年)経て初めてその真実に迫る端緒に辿り得るものであり、そのような展開がこれからまさに期待されるとしている。確かに、今迄執拗に日本の歴史認識の誤り是正を声高に要請しつづけた中国側の態度にも、微妙な変化が窺われる。去る八月十五日に、遺族の要請に応えて靖國神社に参拝した石原都知事の参拝について、中国政府の機関紙「新華社」は非難はしたものの、その非難の仕方は直接的ではなく、日本の偏向マスコミの報道を借りての間接的なものでった。

一昨年の江沢民主席の来日時の非礼振りに対する日本国民の嫌中感情の高まりに敏感に反応して、中国の外交筋は「歴史カード」の切り方を戦略的に変換したことが読み取れるが、その意図の中に、対米関係の緊張に関連する対日関係の一時的改善やODAの引き出しなど、彼らのお手の物の奸智が含まれていることを見逃してはなるまい。この意味で、「神の国」や「国体」発言でかなりの保守層に好感を与えた森総理が、近隣諸国に配慮してとの逃げ口上で靖国参拝を行わなかったことは、保守層支持増大の絶好のチャンスを失ったといえよう。


九月十三日のサンケイ新聞の夕刊「政治つれづれ」欄で、次の記事が目を引いた。「森首相はこの夏の靖国公式参拝を見送ったが、実はひそかに参拝していた。公用車で靖國神社の前を通ったさいに、車内から遥拝したという。

そんなことで参拝したとはいえないという声が出るのは当然だろうが、政治的な意味合いは小さくはない。諸般の事情によって断念せざるを得なかったのだが、首相の忸怩たる思いが伝わることは悪いことではないからである。

ここに森政権浮揚策のカギが隠されているように思える。思い切り「保守」の立場に立脚し、自民党支持層の核心部分をつかんでいくことである。そうした意味で、首相の『靖国こっそり参拝』は興味深いのだ。森さんも本当は公式参拝したかったのだ、ということであるならば、保守層の共感を呼ぶのは間違いない。・・・以下略」

論説委員の花岡信昭氏に私は申しあげたい。こんなことで保守層の共感を呼ぶなんてとんでもない、むしろ逆に反感を募らせるのがおちだ。かかる行為は他人の目を意識した自己欺瞞に過ぎない。靖国のご祭神は、国難に殉じて命を国に捧げた方々である。たとえ政治生命を失っても断固として所信を貫徹してこそ、総理大臣の名に値するのである。道徳教育の改革を訴える首相は、まず自らその範を示すべきである。近代日本のもっとも輝かしい先駆者の一人である吉田松陰の刑死前夜にしたためた次の歌を、国民とともに心底より噛み締めなければならない。

 かくすればかくなるものと知りながら
   やむにやまれぬ大和魂




さて、例年のことだが、国会の合間を縫って国会議員の「北京詣」が今年も盛んなようだ。産経新聞の報道によれば、九月十二日松下政経塾出身の国会議員で作っている未来政治研究会の訪中団(衆議院12人、団長逢沢一郎)が朱鎔基首相と会見し、最近の中国の海洋調査船や海軍艦艇による日本側排他的経済水域への立ち入りなど、日本近海での活動について「冷戦時のソ連でさえしなかった軍艦などの行動を日本国民は非常に不愉快に思っている」と問題を提起した。

これに対し朱首相は、「中国側トップが詳細に承知していなかったことだが、国際法に合致した行為であり、敵意はなかった。日本国民があれほどの反感を抱くならば、今後は避けるべきだと思う」と述べる一方、日中両国が相手の反応をよく理解せずに行動をとるケースがあり、中国側の国民感情を害する実例として靖国問題を取り上げ、「これは日本側では内政だと認識しているだろうが、A級戦犯を祭った靖國神社に閣僚が参拝することも同様だ」と語ったという。

一部明らかに国際法に抵触する自らの不法行動と、次元を異にする靖国参拝を類似項でくくる同首相の傲慢さとその覇権性に怒りを覚えずにはいられないが、外交とはその国の国益に沿う限り、ある程度の恫喝・虚偽・謀略は許されるのが国際常識であり、日本側も謝罪外交の中止はもとより、正しい「歴史認識」の対処、ODAの基本原則の確保など、今後の対中政策には毅然たる態度で臨まなければならない。


開戦から数えて丁度六十年を経過した今日、中西教授の指摘通り、真実の歴史を求める国民特に若年層の間に、その要望が澎湃として沸き上がりつつあることは、西尾幹二教授の「国民の歴史」の爆発的人気をみても容易に頷けるところである。

一方、元外交官出身で辛口の評論家岡崎久彦氏が佐藤誠三郎東大教授(昨年末死去)と対談形式で表した『日本の失敗と成功(近代百六十年の教訓)』の終章の結びに次のように述べている。

「私は日本の前途に希望を持つ。戦争が終わってから本当に文化が爛熟するまで百年、つまり三世代かかる。関ヶ原から百年の元禄、垓下の一戦から百年の漢の武帝の盛時がその例。私は、日本人が親も子も戦争を知らず、歪んだ教育もされていない世代、つまり戦争の影響がゼロになったとき、そして、そういう世代が何ものにもとらわれず自らの手で日本を作って行く時、もう一度日本の黄金時代がくると思っている。

大学紛争後に大学に入った世代の親から生まれた子供達、つまり、いま二十才より下の人が四十代になった二〇二〇年ぐらいから上昇カーブを描いて、二〇五〇年頃をピークと予想する。今きちんとした日本にしておけば、二十一世紀半ばには、世界に誇れる文化を発信できる輝ける日本になっていると期待している。」と。


私にはいささか楽観的展望とも受け止められるが、今きちんとした日本にしておけばとの条件がついている。私の独断と偏見を恐れずに、その条件を箇条書き的に列挙してみれば、

  1. 独立主権国家としての自主性の回復、東京裁判史観からの脱却

  2. 国家防衛対策の確立と、その礎石である靖國神社の国家祭祀

  3. 外交体制の強化と外交戦略の確立

上記条件を充足するためには、当然の措置として、国家理念を共にする国益優先の可及的速やかな政界再編、憲法改正、教育基本法の見直し、には即刻着手、国家財政の健全化・取り敢えず歳費の支出の徹底的リストラ等、明治維新に倣っての統治機構の徹底的改革が必要。特に官僚政治から政党政治への転換には特段の配慮が必要で、蛮勇を振るうことを恐れてはならない。


又、靖国の英霊のご遺志を子々孫々まで伝承し、その名誉回復の一日も早く行われるよう、「死して尚やまず」の気概で国民啓蒙運動に身を挺することは、我々生き残されている戦友に課せられた最大の勤めであることはいうまでもない。


佐藤 博志  記


平成12年9月25日 戦友連380号より


【戦友連】 論文集