大東亜戦争開戦六十年を迎えて



ビルマ英霊顕彰会副会長 桑木 祟秀


平成十三年、皇紀二千六百六十一年は、昭和十六年(皇紀二千六百一年)の大東亜戦争開戦より丁度六十年に当る。正に本卦還りの年である。

六十年も経ったというのに、今だに大東亜戦争の本当の意味が、日本人の最大公約数的常識になっていない。最大公約数的常識というよりも、大多数の政治家・マスコミの常識となっていないことが、日本の今日の不幸を招いているといってよいかと思う。

では大東亜戦争の本当の意味とは何か。その常識とは何か。ここではその二つだけを取り上げて、大方政治家・マスコミに再思三考を促したい。


先ず第一に、この戦争は決して軍の横暴や侵略意図に基づいて始められた戦争ではなかったということ。大東亜戦争開戦の詔書にも明確に「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」とあるように、自存自衛のためやむを得ず開戦した自衛戦争であることを忘れて、或いは故意に無視して、侵略戦争を始めた馬鹿な日本などと考える所に、今の日本の昏迷の源があるように私には思われる。日本を占領して、日本の弱体化政策を恣にしたマッカーサー元帥さえ、後にアメリカの議会に於て、「日本が起こした戦争は、その大部分が自衛のためであった」と証言しているのに、今の政治家やマスコミが、今なお日本は侵略戦争をしたなどと信じていることは、何という日本の不幸であろうか。大東亜戦争は正に自衛戦争であったのである。

もう一つ日本人が―――殊に政治家やマスコミが―――常識として持つべきことは、この戦争が大東亜解放、更には世界民族解放の世界史上特筆すべき解放戦争であったということである。政治家やマスコミは一刻も早くこのことに気がついて、誇りを持って世界に対処して行くべきであるのに、日本はアジアや世界の人々に迷惑をかけたなどと謝罪することばかりを考えている。戦前六十ヶ国位しかなかった独立国が今や百八十ヶ国にもなったこと、世界中が白人の植民地になろうとしていた正にその寸前に、世界から植民地は消え去り、日本が国際会議などで何度人種差別撤廃を迫っても実現出来なかった人種差別撤廃も、この大東亜戦争終結後実現されるに至った。

タイのククリット元首相は「日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母胎をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米・英と対等に話が出来るのは一体誰のお蔭であるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日はお母さんが、一身を賭して重大決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない」と言って居られる。正に今の弱腰政治家や反日マスコミの人々に聞かせたい言葉である。


「大東亜戦争」という名称は昭和十六年十二月十二日の閣議で決定されたもので、アメリカが戦後「大東亜共栄圏」(この名称も白人植民地支配からアジアを解放して共に栄えようという願いから附けられたもので、日本がアジアを支配しようとして附けたものではない)との連想から「太平洋戦争」という名に強制的に改めさせられたのを、いつまでも易々諾々と従っているようでは、日本は独立国とは言えないであろう。

靖國神社参拝を総理大臣が決断しても、周囲の政治家達がそれに待ったを掛ければ、中々実現には至らない。政治家・マスコミの意識が、この二つの常識を常識とする迄は、首相の靖国参拝も確かに困難であろう。


しかし直言する。「断じて行えば鬼神もこれを避く」と。開戦六十年、今年こそは周囲の政治家・マスコミに気兼ねすることなく、首相は敢然として靖國神社に参拝されんことを。他国の内政干渉、その尻馬に乗る愚かしき政治家・マスコミもあろうが、それも一ときのこと。

「窮すれば通ず」必ず日本の未来は開ける。

大東亜戦争開戦六十年に当たり、このことを神祈してこの稿を終る。



平成13年2月25日 戦友連385号より


【戦友連】 論文集