日 本 の 歌





サンパウロ市  吉村 健
(ブラジル・日系一世)


拝啓 私は今を去る69年前、昭和7年8月、住み慣れた祖国日本を後にして、父母両親に連れられて、兄弟三人姉妹二人の七人家族構成にて、未だ見知らぬ遠いブラジル国へ日本移民として移住しました。

来てみれば、異国故に言葉はもちろんわからず、風習、風俗、風土病に悩まされて、ひと苦労しました。はじめは日本政府とブラジル政府との契約移民にて、大地主のコーヒー園で百姓生活、農場の草取り、時期になればコーヒーの採集、朝早く起きて太陽の沈む頃まで、監視人つきでした。契約期間は二年間で、借金がなければ、次の年釈放されて独立農業に移ります。

丁度奴隷生活みたいなものでした。あの当時の日本移民は、皆このような道を歩んで来ました。私の父は日本にては一会社員で、私等兄弟姉妹は幼い子供で、百姓生活などしたことのない家族でしたから、農作業の苦労はひとしおでした。

でも月日の経つのは早いもので、早や半世紀と19年の歳月が流れました。だが私は、その間一日として日本の事を忘れたことはありません。日本は私の生まれた母国、ブラジルは私達日系日本人を育ててくれる養国にて、両国を愛するが故に、両国に貢献して暮らしております。





1995年3月25日、ブラジル日本文化協会の講堂で、、日本歌手川田正子様が半世紀にわたって歌いつづけてこられた日本人の心の古里、懐かしい童謡の名曲を歌ってくださいました。日系一世にて60歳以上の方が約九百人、昔懐かしい名曲27曲に涙を流して聞き入っておられました。私もその中の一人にて、長生きしていたお陰で素晴らしい童謡が聞けて嬉しかったです。

アメリカの歌は戦前からオーケストラ付きにてやかましく、歌うより踊るほうが多すぎます。戦後の歌は音楽ばかりが高過ぎて、その影響でアメリカ国民は20%が耳を悪くしているとのこと、こちらブラジル国も、サルの人まね好きで、アメリカ流がはやり、このごろは耳の悪くなった者が増えているそうです。日本も戦後アメリカの音楽がはやり、近頃は耳の悪い者が増えているとのこと、特に戦後生まれの若い人に多いそうです。

又、最近の日本の歌には英語が混ざったものが多いようですが、もうそろそおアメリカかぶれから目覚めてほしいものです。日本には音楽に限らず、長い伝統を持った精神、道徳、思想、文化があります。この中には、世界に無い良いものがたくさんありますので、他人の物真似よりも自分の国の優れたものを世界に拡めることによって、世界に貢献することを考えるべきではないでしょうか。





欧米のキリスト教史観は、この世に終末を想定し、救いの神の御手(みて)によって天国に至るを説く。共産社会という天国の到来を約束するのも、キリスト教史観の裏返しである。仏教もまた、現世のかなたに極楽浄土があると説く。

だが日本は建国以来二千六百六十一年、神を信じ太陽と真水無くしてはこの世に生存できないことを信じて生活している。太陽を信じてきたので、朝早く起きて「日の出」の東に向かって柏手を打つ習慣が先祖代々伝わっている。そして日本全国至る処に神社があり、後代へと大切に保存継承されている。また各家庭には神棚があり毎日礼拝を欠かさない。仏教は六世紀の欽明天皇の御世に伝来したと言われるが、神様信仰は神代時代からあった。

この世界には多くの人種が存在しているが、年のはじめの歌(終りなき世のめでたさをの歌)のあるのは日本国だけではなかろうか。「終りなき世」という発想がまことに日本的だと思う。丸い物には始めもなければ終りもない。一日は輪であり、一ヶ月も輪であり、一ヶ年も輪である。この宇宙に地球が存在して以来、地球は来る日も来る日も際限のない回転をつづけている。時間が輪であるとの考え方は、どの時点でも今が永遠であり、人間の日々の営みが永遠へとつながるのだ。日本民族の楽天的で現実的な性格は、この「輪の史観」に基づく「終わりなき世のめでたさ」であろう。私は「年の始めの歌」を歌うとき、いつもこう思うのです。



年の始めの歌

年の始めのためしとて

終りなき世のめでたさを

松竹立てて門ごとに

祝う今日こそ楽しけれ






平成13年5月25日 戦友連388号より


【戦友連】 論文集