馬脚を現したYKKの単なる一人、
小泉首相には総理として
靖國神社に参拝する資格はない!








まえがき



「いかなる批判にも耐えて八月十五日には必ず靖國参拝を断行する」と、四月の自民党総裁選挙中から公言しつづけてきた小泉総理の二日繰り上げての靖國参拝については、読者諸兄の中にも賛否両論が十分あることを承知しつつも、敢えて私は、彼の今回の変節を国民の一人として鬱憤(うっぷん)抑えがたくこの貴重な紙面の一画を借りてその弾劾を試みざるを得ないことをお許し頂きたい。




中国・韓国からの反発は当然予想されたこと



昭和61年以降の中曽根元総理の靖國参拝中断、その間要らざる中傷による多くの良識派大臣の失脚、特に最近の教科書問題に関する執拗な内政干渉等を見れば、彼の靖國神社参拝がどんな外交的波紋を発生するかは、充分に予測し得た筈だ。にも拘らず、彼は「八・十五参拝」の旗印の下多くの国民の支持を受け、余勢を駆って参議員選での大勝を手中にし、聖域なき構造改革の第一歩を踏み出した。

ところが、構造改革でも最も大事な心の構造改革の核である「靖國参拝」で、早くも(つまず)いたのである。日が違っても参拝されたのは一歩前進と評価する向きもあるが、私は断じてこの説には組みしない。今回の参拝は飽くまでも八月十五日の終戦記念日でなければならなかったのである。それは彼の公約であり、そのことが、中国・韓国との見せかけの友好ではなく、お互いの真の友好関係樹立のために一度はクリヤーしなければならない主権国家日本の総理の国益擁護の最大の義務と認識するが故である。それを信じたさばこそ80%以上の国民が彼を支持したのであり、その破約は多くの国民に大きな失望を与えた。その支持率が急激に下落することは目に見えている。




外交問題渦中の人田中外相が名付けた「変人小泉」は、
総理になどなれると思っていなかったのではないか



今から思えば、三度目の自民党総裁選に立候補した小泉候補は、最大派閥の橋本龍太郎候補に勝てるなどとは夢にも思わなかったのではなかろうか。そこで、多少でも次回の選挙の地盤を固めるために、自民党離れしている保守層の関心を買うべく、「八・十五靖國参拝」を宣言したのではないか。ところが、政治の閉塞感に飽き足らなかった無党派層の関心をも呼び起こし、あれよあれよという間に総裁となり総理に成り上がってしまった。そこで八月十五日が迫るにつれて、公約実行と政権維持とのバランスを如何に保つか、彼の言葉を借りれば「熟慮に熟慮を重ねて」苦慮したのであろう。




先方が最も神経過敏になっている時期に、
与党三党の幹事長が北京参りした意図は何だったのか



靖國参拝について意見を異にする三幹事長が、総理の靖國参拝を中国首脳に説得可能と思うほどの外交音痴ではあるまい。何らかの条件的感触を得たかったのが本音ではあるまいか。自己の信念を貫徹する気概があれば、当然あの時期の訪中は止めさせるべきであった。

また自民党内抵抗勢力の大ボス野中広務の、北戴河保養地観光目的の訪中が何時の間にか中共政府の賓客となり、「八・十五参拝」抑止に大きく作用したことは紛れもない事実であり、何処からともなく 1、参拝日をずらすこと、 2、参拝方式は神道儀式によらないこと、 3、納得のゆく談話を行うことの三条件が漏れ伝えられ、しかも驚くべきことに、YKKの関係利用までが中国側から示唆されたとのことである。まさか主流派と反主流派とが裏で出来合っていたとは思いたくないが、平然と二枚舌を使う小泉総理を目の前にしては、全然有り得ないこととも思えない。

事実、八月十一日から十二日にかけて山崎、小泉と、目下謹慎中の加藤紘一のいわゆるYKK三者の秘密会合が持たれ、そこで小泉総理は十三日参拝の最後の腹を固めた。後は福田官房長官を交え、談話内容の吟味と発表のタイミングを密かに練り上げたのである。




これは正しく中国の描いた筋書き通りではないか



表面的には、中国は参拝実行に対して激しい抗議のゼスチャーを見せてはいるものの、内心では、失いかけていた日本弾圧の「外交カード」を取り戻したことに、「してやったり」と北叟(ほくそ)笑んでいることであろう。聖域なき構造改革といいながら、その聖域を作ったのは小泉総理その人自身ではないか。

聞くにたえない「村山談話」に輪をかけた謝罪一辺倒の今回の「小泉談話」は国辱もので、近隣諸国の信頼を得るどころか、世界の物笑いの種となり、侮日的態度に拍車をかけることは間違いない。過去の植民地支配と侵略に言及した部分で、村山談話では「多大の損害と苦痛を与えた」とあるのが、小泉談話では「計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」とそのトーンを上げ、更に村山談話にはなかった「それはいまだに、この地の多くの人々の間に癒し難い傷痕となって残っている」との言葉を付け足し、侵略表現を強めた。

この表現で一時的に外交の破綻は逃れ得ても、決して最終的解決にはならないことは冒頭で述べた通りである。当時の社会党の党首の談話ならいざ知らず、日本の再建を目指し構造改革をモットーに大号令をかけている保守党総理の談話としては真に情けなく、憤りを越して無力感に(さいな)まされずにはいられない。




断じて許せない、小泉総理の
「国立戦没者慰霊施設」新設構想



小泉総理は十三日の参拝後の記者会見で、今後の靖國参拝問題の解決策として「靖國神社に特別な感情をもっている方も、そうでない方も、追悼の誠を捧げられるように、どういう形がいいか議論する必要がある。私も外国へ行けば戦没者の方に手を合わせる。外国の方も日本で戦没者に手を合わせたいという人もいる。戦没者に追悼の誠を捧げるのに批判が起きないような方法を議論したい。」と語っている。何たる不見識、何たる勉強不足か。

靖國参拝否定の根拠は、一に憲法違反、二にいわゆるA級戦犯合祀問題である。だがこの二つの問題は、国内的には法律上解決済みである。が問題は、勝者の正義を担保するために敗者を絶対悪として裁いた東京裁判史観を利用して、日本の国家破壊を狙う国際コミンテルンの残影に巣くう反体制分子とそれに連動する中国・韓国の対日優越体制維持の覇権主義とが合体し、靖國神社を軍国主義の精神的支柱・極端な表現では宗教的軍事施設とまで呼ぶ輩の謬見に同調することが戦後民主主義の本質と強弁する多くのマスメディアと、その批判を恐れる多くの政治屋と、日教組の教育に蝕まれ国家意識を喪失した享楽主義第一の大衆とが、この国に居合わせているということである。

この衆愚を目覚めさせ、国益第一の政治家に改革することが、小泉総理の捨て身の施政方針ではなかったのか。アーリントン国立墓地に献花した小泉総理が、今秋訪日するブッシュ大統領に靖國神社表敬を要請することこそ、日米安保条約の双務性を象徴する強力なパートナーシップの発揮ではないか。

それが何だ。靖國神社は外国の賓客表敬に相応しい聖地ではないとして他の慰霊施設の新設を示唆するとは、靖國神社の本質を弁えないにも程がある。彼には総理として靖國神社に参拝する資格がないといっても過言ではない。恐らく彼自身は内心では靖國神社以外に戦没者の追悼の施設はあってはならないと思っていることと弁護したいが、たとえ抵抗勢力に屈したにもせよ、このような発言は靖國の英霊を冒涜する以外の何者でもなく、断じて許し難く、声を大にして弾劾するものである。

早速福田官房長官は私的な懇談会を設ける考えを表明した。「新しい教科書をつくる会」の扶桑社発行の中等科歴史教科書の採用率が一%にも満たない左傾化した国内の現状では、私的懇談会の結論も悲観的にならざるを得ない。

敢えて誤解を恐れずに言えば、今のような国情では総理大臣に参拝して貰わなくても結構だ。ただ何としてでも阻止しなければならないのは「戦没者国立墓地」の新設だ。状況次第では意外に早く結論が出る可能性も大だ。当面われわれ最大の目標は、戦没者国立墓地の新設を阻止することである。




 佐藤 博志








平成13年8月25日 戦友連391号より


【戦友連】 論文集