靖國神社に代わる慰霊施設問題は
小泉首相の胸先三寸で決まる








去る8月13日、靖國神社に参拝した小泉首相の談話以来急浮上した「靖國神社に代わる国立戦没者慰霊施設」の建設問題は、9月11日のアメリカ中枢同時テロ発生によって、忘れられたかのように姿を消した。だが新聞記事によれば、小泉首相は10月20日上海における 日韓首脳会談でこの問題に触れ、「国立慰霊施設」を検討するための懇談会を早期に発足させる旨、発言している。おそらくこの問題は、消えるどころか、我々にとって来年最大の問題として顕現してくるだろう。

戦友連はかねてから表明しているとおり、靖國神社に代わる慰霊施設の設置には絶対反対である。その理由は後記の通り。

だが気になることがある。我々の反対理由が如何に正論であっても、それで問題が解決する保証はない。

失礼な言いようだが、現在各界の指導的立場にある年代の人は、殆んどが「東京裁判史観」に染まっている。従って靖國懇談会メンバーの選定如何によって、答えは白にも黒にもなるだろう。小泉首相は懇談会の答申を待つ前に、その人選に細心の注意を払っていただきたい。

更に加えるならば、失礼ながら小泉さんご自身が、もう少し日本を取り巻く近代歴史の真実を勉強していただきたい。この問題は、終極のところ小泉首相の決断によって決まるものなのですから。






新しい慰霊施設造りに反対する理由




一、靖國神社は、我が国の戦没者追悼の
中心的施設である



靖國神社は、明治二年に明治天皇の御思召(おぼしめ)しによって創建され、幕末維新期から大東亜戦争に至るまでの全戦没者(二百四十六万六千余柱)の英霊が合祀されている。

英霊は、国に殉じた場合、国が靖國神社に神として祀ることを確信して散華された。この現実は、英霊の遺言・書簡等で確認でき、国と英霊との約諾であった。

これを無視して新たな慰霊施設を設けることは、国の裏切りであり、国家道義の背信に他ならず、英霊を冒涜(ぼうとく)する以外の何ものでもない。




二、千鳥ヶ渕戦没者墓苑は、
外国の無名戦士の墓とは異なる



千鳥ヶ渕戦没者墓苑は、戦後、戦域から収集した戦没者の遺骨のうち氏名不詳か、氏名が判明しても引き取り手のない遺骨、(約三十四万体)を納めた合葬墓(納骨堂)である。

従って当然のこととして、特攻隊や、艦艇と共に深海に沈んでいる海軍将兵の遺骨はなく、また支那事変より前の戦没者は全く含まれていない。

千鳥ヶ渕戦没者墓苑を改称し、諸外国の「無名戦士の墓」と同様に全戦没者を対象とする慰霊施設にしようとする構想は、基本的に性格を異にするものである、




三、我が国には、「いわゆる戦犯」は存在しない
法に基づいて靖國神社に合祀された



我が国が独立を回復した直後の昭和二十七年五月、当時の法務総裁は、「いわゆる戦犯」――― 極東軍事裁判(東京裁判)で戦勝国側が一方的に呼称した ――― を「日本の国内法上の犯罪者とみなさない」との通牒を発し、また、同年十二月の衆参両院は、やむなく拘禁中の受刑者の「赦免に関する決議」を圧倒的多数で可決している。

「いわゆる戦犯」の靖國神社への合祀は、戦後の一般戦没者の合祀手続きと同様に、昭和三十一年四月に厚生省から都道府県に通牒した「靖國神社合祀事務に関する協力について」にもとずいて、国と地方自治体が合祀者を選考してその名簿(祭神名票)を神社に送付するという手順で、合祀が行われた。

その選考の法的根拠となったのが、基本的には「戦傷病者、戦没者遺族等援護法」と「恩給法」であり、この両法がさらに一部改正され、「いわゆる戦犯」の遺族、受刑者本人にも適用された結果、厚生省から靖國神社に祭神名票が送付されて、「いわゆる戦犯」も合祀されたものであり、靖國神社が単独で合祀したものではない。




四、靖國神社には外国要人、外交官、
武官等も参拝している



「外国の要人もわだかまりなくお詣りできるためには云々」と提言しているが、靖國神社には、諸外国の練習艦隊が部隊参拝して花輪を奉献しており、また、二名の元首(アルゼンチン大統領夫妻、トンガ王国・同妃)や、多くの首相級の要人、駐日大使、同武官等が参拝しており、礼拝の作法は、参拝者の自由意志で行われている。







平成13年11月25日 戦友連394号より


【戦友連】 論文集