平成十三年の総括
小泉首相に望むもの








はじめに



先ず以て、皇太子殿下第一皇女「敬宮(としのみや)愛子(あいこ)親王殿下」のご誕生と皇室の弥栄を寿ぎ奉ります。

年初から矢継ぎ早の予期しない出来事で神経の高ぶりに苛まれていた多くの国民も、年末のこのご慶事の大朗報に接し大いに心和むのを覚えたことと思います。

さて、我が国の戦後の退廃もここが底ではないかと思い始めてから既に数年を経過しましたが、「変人」を自称して憚らない小泉総理の出現によって、その戦後後遺症の末期症状が具体的に明らかとなり、その抜本的解決策も国民の目に見えてきた今年こそ、まさにターニングポイントと捕らえて然るべきであろう。そこで、「靖國神社参拝問題」に関わる言動を中心に追跡し、平成十三年を総括、今後に備えてその問題点の剔抉を試みたい。




自民党総裁選挙に始まった「靖國発言」



参議院選挙で勝ち抜くためには、森総理では駄目だとの自民党の判断で行われた自民党の総裁選挙に立候補した小泉候補は、早速「日本遺族会」を訪問し、当選の暁には必ず「八月十五日の靖國神社公式参拝」を実施すると公約した。この「靖國発言」は、保守層のみならず無党派層の心の琴線に触れ、約八割の国民の支持を得て総裁・総理となり、参院選を制した後も「構造改革」の旗印の下、如何なる批判を甘受しても八月十五日参拝を事ある度に獅子()していたが、結果としては、内外からの圧力に堪え切れず前倒し参拝となり、その中途半端な結末に賛否両サイドから不満の声が上がった。

本人も告白した通り、慙愧の至りであろうが、政治は結果責任であり、彼の「靖國発言」は、選挙対策のゼスチァーと受け止められても反論する正当性を持たない。現に彼のその後の謝罪行脚とも受取れる中国・韓国訪問時の言動から見て、本当に英霊に感謝の誠を捧げる信念に満ち溢れていたとは考え難い。

靖國問題に関する自民党の公約違反で、幾度となく煮え湯を飲まされてきた我々としては、自民党の解党的改革無くして日本再生の道なしと、党内守旧派の抵抗勢力に敢えて挑戦する小泉総理の姿勢に今度こそは本物と期待が大きかっただけに、裏切られた無念さに切歯扼腕し、再び起きるであろう来年夏の喧騒に闘志を掻き立てずにはいられない。特に靖國神社に代わる「国立慰霊施設」新設構想は、身を賭して断固これを粉砕しなければならない。

所詮小泉総理も、戦後の教育に最も強く洗脳された六十歳前後世代(与野党を問わず)の誤った歴史認識から脱却し切れない政治家の一人に過ぎないのであろうか。




戦後後遺症から脱却を阻むものは何か



今回の小泉総理の靖國問題の挫折も、組閣時の大臣記者会見における朝日新聞の露骨な反靖國策謀に端を発している。否、それ以前の「新しい教科書をつくる会」の関わった扶桑社出版の中等科歴史教科書の不採択運動で、既にその種は撒かれていた。しかもこの教科書問題は、単に朝日新聞を主とした偏向マスコミのお決まりの国内発外圧利用の戦術のみに止まらず、自民党の大久保彦左衛門を気取る後藤田正晴(靖國参拝中断時の中曽根内閣官房長官)を頭に、外務省の槙田アジア太平洋局長や中国課長等のチャイナスクールの隠微な不採択工作が絡んでいたのである。のみならず、監督官庁の文科省も、全国五二九採択区で日教組系のテロまがいの激しい左翼の不採択運動に、一片の各教育委員会に対する指導通知のみで表面を糊塗し、伝え聞くところによれば、暗にその不採択を良しとする空気の醸成さえ許したとのこと、近隣諸国との摩擦排除に配慮したのであろうが、明日の日本を担う若者に相変わらずの自虐史観教育を強いる結果をもたらした意図的と疑わざるを得なその不作為行為の罪は、大いに糾弾されなければならない。

戦後、反米親ソこそ進歩的平和主義として左翼勢力を煽動してきた朝日新聞を筆頭とするマスコミが、ソ連崩壊後言論の捌け口を失ったいわゆる進歩的文化人と結託し、大東亜戦争は軍国主義日本のアジア諸国侵略の戦争犯罪なりとして、その矛先をわが国の戦争責任追及、特に中国に対する謝罪に的を絞り、在外の反日勢力と呼応して左翼指向の世論の形成に躍起となって論陣を張り続けている。今日の情報社会では、マスコミが第一の権力者とも言われている。これに阿諛(あゆ)迎合しないとその身が危ないとし危惧し、親中国的態度を取っている与野党を問わないリベラリストと称する委員諸公の姿は、彼等が尊重して止まない基本的人権を無視する共産主義国家に盲従することに外ならず、何と矛盾に満ちていることか、正気の沙汰とも思えない。揚句の果ては相手国の権謀術数に嵌り、売国奴行為に恬として恥じざる自民党大物政治家の存在を許す程まで堕落した政治風土には、義憤などと生易しい表現では律し切れない憤怒を覚えずにはいられない。これらのご甚の早期リタイアを望むや切。

しかも、今年の夏の「朝日」の反靖國運動は異常なまでに凄まじかった。それは何故か。「小泉発言」もさることながら、来年四月二十八日独立主権回復五十周年を迎える今日、歴史の真実に目覚め、日本民族のアイデンティティを希求する良識派国民の声の大きさに、強力外圧なくしては押さえ切れないと判断したからであり、その点、今後の我々の自覚と実践が、偏向マスコミに対する抵抗勢力となり得ることの証しとなったことは極めて注目に値する。




国連下における
パワーポリティックス(力の政治)の
現実と思想戦



小泉総理の「靖國参拝」に関し、米国の「ワシントン・ポスト」や英国の「フィナンシャルタイムズ」などの一流紙が、非難めいた記事を掲載したことは何を意味するか。彼等の意図はおそらく次のような手前勝手な論理に基づくものであろう。即ち「靖國参拝」容認は、いわゆる東京裁判の正当性を否定することとなり、それは十五世紀以来アングロサクソンを主とした白色人種が、有色人種を侵略植民地化した罪悪を認めざるを得ないことに繋がることを恐れたのである。且つ又、中国の南京大虐殺の政治的プロパガンダに便乗して、原爆投下の免罪符たらしめんとする意図が見え見えである。

世界から武力行使を駆逐し恒久平和に寄与せんとする国連の役割は、果たして機能しているのだろうか。英米仏露中の戦勝五大国で構成されている常任理事国の、事ある時のエゴ丸出しの「拒否権」発動は、火消し役どころか、時には火勢を煽る事態を招来したことは我々の脳裏に刻印されている。「敵国条項」削除もままならない儘、敗戦国のドイツはNATOの有力な一員となり、域外派兵も決断し、「力の政治」の現実に即応して国益の確保に余念がないが、一方「平和憲法」理想主義と国連至上主義に走り、二国間同盟の「日米安保条約」の完全履行もままならぬわが国の「極楽とんぼ」は、アメリカの占領政策の生み落とした奇形児としか言い様がない。

今や世界は国連の理想とは裏腹に、米国の相対的地位低下を背景に、列強各国は自己勢力範囲の拡大に熾烈な情報戦・思想戦に(しのぎ)を削っている。特に米ソ対立の冷戦時代よりも数倍も厳しい共産主義独裁国家の中国や北朝鮮の脅威にまともに晒されているわが国は、危機管理意識の高揚とその具体的対策の構築が目下緊急の課題である。

ともあれ、敬宮内親王殿下のご生誕もあったことである。明日に希望を託して来年も頑張りましょう。




 佐藤 博志  記








平成13年12月25日 戦友連395号より


【戦友連】 論文集