日本は平和を愛する神の国である



外交評論家  加瀬 英明




十月に、アメリカがアフガニスタンに対する攻撃を始めた。

私は、ミサイルが闇夜の中に赤いネオンのような細い線をひいて飛び、遠くで炸裂するテレビの画像を見ながら、アメリカの国歌を思い出していた。「ロケットの赤い閃光がきらめき、空に砲弾が破裂する」という勇ましいものだ。もとは、イギリスに対して独立戦争を戦った時の歌だが、第三番は、「イギリス兵の血が彼等の穢らわしい足跡を清める」というものである。

もっとも、フランス国歌の『ラ・マルセイエーズ』も「敵の血を流せ!」というものだし、中国の国歌をとっても、同じように血に染まった、殺し合いの歌だ。

それにしても、『君が代』は岩や苔を歌っているから、何と平和な国だろうか。日本の国内で、争いを好む人たちは、この国歌が気に入らないらしい。私は、日本人は何と優しい国民なのかと思う。

仕事柄よく海外へ出るが、日本に戻ってきて、七福神を見るたびに感動する。ユダヤ・キリスト・イスラム教の国であったら、七人の神が殺し合って一人の神しか残らないのに、七人の神々が小舟のうえで、(むつ)んでいらっしゃる。それぞれが持つ個性と長所を認めて、すべてを尊ぶ文化なのだ。






日本が、世界一の女性文化をもっているところも素晴らしい。

今から千三年前の、西暦でいえば九九九年の日本で何が起こっていただろうか。

この年に、紫式部が大恋愛をした末に、十九も年上の藤原宣孝と結ばれた。宣孝は中級の役人で、紫式部は二十六歳で初婚だった。娘を一人もうけたが、宣孝が二年ほどで死んだ。紫式部は宮中に働きに出て、今様にいえばOL生活をしながら、『源氏物語』を書いた。女性が、人類史上初めて書いた小説である。

日本は、才女たちが絢爛たる筆を競った「女性の時代」にあった。当時の世界では、このような国は日本だけだった。

あのころの著名な女性作家を挙げると、『枕草子』を書いた清少納言がいる。清少納言は二十四歳で結婚し、何回も結婚した。

『和泉式部日記』の和泉式部は、二十歳で結婚したが、再婚はしなかったものの発展家で、同時に四人の恋人をもっていたために、「浮れ女」として批判されている。

『更級日記』を著した菅原孝標女(たかすえのむすめ)は、三十三歳で結婚した。あのころでは、女は十二歳か十三歳で結婚したが、今も昔も才女は晩婚のようである。

当時の世界は、日本以外ではほとんどの女性が文盲で、男に従属していた。西洋で女性が初めて小説を書いたのは、十八世紀に入ってからのことだし、中国や朝鮮、インド、中東などの地域で女性が小説を書いたのは、その百年以上も後になってからのことだ。日本は、女性が才能を競いあっていた稀な国だった。

日本では、女性が強かったのだ。西洋は父系社会であって、ユダヤ教から生まれたキリスト教が、「天に在しますわれらの父よ」と祈るように、男神である。ユダヤ・キリスト教からさらに派生したイスラム教も男神だ。

日本の最高神は、女神でいらっしゃる天照大御神である。千年前の日本では、世襲制だった地方長官の国造(くにのみやつこ)に、女性も少なくなかった。

平安時代には、夫婦といわずに、妻夫(めうと)婦夫(めうと)といった。『万葉集』では父母といわず、母父(おもちち)である。

日本は、女性が優しかった文化が土台になっているから、優しい。日本語には、英語の「ファーザーランド」、ドイツ語で祖国を意味する「ファーターラント」の”父国”がない。フランス語では祖国は、”父国”を意味する「ラ・パトリ」というが、「母国」という表現がない。

父親は子供に厳しい規律を課して、できる子とできない子をはっきりと区別するのに対して、母親は子供たちを優しく、分け隔てせずに平等に慈しむ。このように日本では、国のありかたも優しいのだ。西洋と日本では、国のイメージが異なる。

アメリカや、フランスや、中国をとっても、日本の軍歌をとっても、外国の軍歌が勇壮であるのと較べると、まるで母親の愚痴のように暗いものばかりだ。

日本文化は、『源氏物語』と『平家物語』の二つの流れが織りなされていると思う。女性の筆が描く『源氏物語』の底流のうえに、やがて武家社会が到来すると、男の時代を現す『平家物語』が重なった。日本の男性は、時代を通じて、女性的な優しさを兼ね備えてきた。






日本人の優しさは、宗教に対する態度にも現れている。日本人は、先進国をとれば、どこの国の人々よりも宗教心が篤い。ところが、日本人のなかでも、「日本人は宗教心が薄い」と勘違いしている者が多い。

ヨーロッパやアメリカをはじめとして、キリスト教会が新しく建てられる時に、イエス・キリストが生きていた二千年前の様式で建てられることはない。かならず近代建築様式を用いている。あるいは、中世なら中世といったように、その時代時代の様式をもって建てられている。

ユダヤ教は、四千年ともいわれる古い歴史を持っているが、シナゴーグ(教会)が造られる時も同じことだ。イスラムのモスク(寺院)も、預言者マホメットが生きていた七世紀ころの様式は用いない。しかし、日本で神社が建てられるときは、かならず神代のころに近い様式をもって造られる。そうしないと、私たちの心が和まない。






神聖な空間の設定のしかたにも、違いがある。キリスト教やユダヤ教の教会や、イスラム教のモスクの内部は、神聖な空間である。その外はそうではない。神聖な空間を、内部に閉じ込めることをする。

日本ではいまでも、地方には神域がどこで終わっているのか、わからないような神社があるものだ。日本では、神聖な空間を閉じ込めるという発想がなく、全宇宙が神聖だとみなしている。

日本では、神は万物を通じて姿を現されているのだ。あらゆるものが尊い。

ユダヤ教徒やキリスト教徒は、朝起きると祈る。食前に祈り、寝る前に祈る。ユダヤ教徒なら金曜日にシナゴーグを詣で、キリスト教徒なら日曜日に教会を訪れてミサに参加する。決められた日と、決められた時間に神に祈る。イスラム教徒についても、そうだ。イスラム教徒は一日五回、聖地であるアラビア半島のメッカに向かって拝む。ところが、日本人はこういうことをしない。

ユダヤ・キリスト・イスラム教徒は、決められた時間に祈るが、その他の時間にはそうしない。だから、パートタイムの信心に似ている。少し意地悪くいえば、酒を飲む間だけ酔っぱらっている、ようなものだといえる。

日本人は、神聖な空間を建物の内に閉じ込めることをしないし、特定の時間が神聖であるという考え方がない。全宇宙が神聖な空間であり、一日二十四時間、一年三百六十五日間、あらゆる時間がつねに神々しくて、清々(すがすが)しいとみなしている。






日本人は、ことさら宗教を意識することがない。しかし、本当の贅沢とは、一体何だろうか。それは贅沢をしていることに、気づかないことだ。

もし、高級レストランに行って、何十万円もするシャンデリアの下で、黒服を着たウェイターに囲まれて、高価な料理に舌鼓を打ちながら、自分は贅沢をしているのだと自己満足に浸るとしたら、それほど貧しいことはない。本当の贅沢は、贅沢をしているのに、そうしているのを感じないことだ。

ユダヤ・キリスト・イスラムの神は、人々に気儘(きまま)に干渉する。

日本では、神々が(もり)の中に鎮まっておられる。神が「鎮まる」という言葉は、西洋の言葉にそのまま訳することができない。

天皇陛下も、鎮まっていらっしゃる。国民は、天皇陛下にご心配をおかけすることがないように、清く、正しく生きるように努めなければならない。日本は、優しい平和な国なのだ。

(注) この記事は橿原神宮庁発行『かしはら』133号(平成14年3月1日)より転載しました。






平成14年3月25日 戦友連398号より


【戦友連】 論文集