国立(こくりつ)の追悼施設」新設絶対反対
中国にゴマ()るな!






はじめに



前六月号で「是非とも参加を」と呼び掛けた「国立追悼施設の新設絶対反対」運動の第二弾として、『英霊にこたえる会』が他友好団体と協力して組織した『英霊にこたえる実行委員会』(会長・堀江正夫英霊にこたえる会会長)主催の「国民総決起集会」並びに「示威行進」が、予定通り七月十二日に決行された。

この日、梅雨の合間を縫って快晴に恵まれたが、朝からギラギラと太陽が照りつけ、この炎天下果たしてどれだけの方々が参加されるだろうかとの一抹の不安もあったが、開会時刻の13時には、会場の日比谷野外音楽堂は日の丸の小旗を手にした参加者の白一色でほぼ埋め尽くされ、改めて「靖國の英霊」に対する国民の関心の深さに闘魂のたぎるのを覚えた。

参加者数は、当初の予想を大きく上回り約二千二百名の多きに及んだ。(戦友関係約200名・一般国民約400名・中央参加団体及び都道府県本部約500名・友好諸団体―キリストの幕屋の会600名を筆頭に―計約千百名)




国民総決起集会



定刻13時、国歌斉唱・黙祷の後、三輪和雄氏(日本世論の会会長)の司会のもとに、先ず佐藤博志実行委員長(英霊にこたえる会広報委員長)の決意表明で大会の火蓋は切られた。「国難に殉じた英霊は『靖國で会おう』との言葉を残して散華されたのだ。靖國神社以外に慰霊追悼の施設は有り得ない。英霊を冒涜する以外の何ものでもない新しい施設の建設は、力づくでも絶対阻止する。全国各地の同志と力を合わせて靖國神社をお守りしよう。”日本の再建は靖國神社から”を合い言葉に」と決意を表明、会場の雰囲気は一気に燃え上がった。

次いで主催者を代表して堀江正夫会長が演壇に立つ。「中国や韓国に(おも)ねって設置した福田官房長官のいわゆる『追悼懇』の論議は、凡そ靖國神社の本質を弁えない空理空論を弄んでおり、敵国の戦没犠牲者を共に祀るなどと言うに至ってはまさに言語道断、英霊の御心を踏みにじり、日本の行く末を葬ってしまう暴挙であり、断じて阻止しなければならない」と切々と訴え、国民の総決起を促した。

また、本集会には特別来賓として四名、一般来賓として十一名、計十五名の国会議員の方々が、国会中にも拘らず駆け付けて頂き、その他五十一名の代理人が出席された。特別来賓の四名の方には、到着順にその決意の程を披瀝して頂いた。

最初に登壇した『小泉総理の靖國神社参拝を実現させる超党派国会議員有志の会』会長の高市早苗衆議院議員(自民党)は、次の三つの理由を挙げて追悼施設新設反対の決意を表明し、国民の支持を訴えた。その第一は、「命を賭けて国を守ってくださった英霊の方々に、国民が感謝の誠を捧げてお参りする場所を大事に守りたい。」第二に、「戦没者の慰霊追悼は純然たる内政問題、中国や韓国からとやかく言われる筋合いは毛頭ない。独立主権国家の名誉にかかわる問題で、断固として跳ね返せば良い。」第三に、「新しい追悼施設に魂がこもる筈がない。無駄な建造物に国費を使う事は、納税者の立場としても許せない。」

次に保守党を代表して、副幹事長の小池百合子衆議院議員は、「国民や国民の選良たるべき政治家が、自らの国のことを自ら決めて事に臨まなければ、この国は滅亡への一路を辿ることになる。本日ここにお集まりの皆さんは、デモ行進も含めて、その意気を他の多くの国民そして海外にも知らせて頂きたい。愛国の運動を広めてゆくことが、この国を救う最大の武器である。」と愛国運動の推進を熱心に訴えた。

さて、次なる登壇者は、自由党を代表して西村眞吾衆議院議員である。その熱弁は満場の感動を呼ぶ。曰く「小泉総理は、今年の八月十五日に靖國神社に参拝しなければならない。そして、その際『自分は不明にも今まで近隣諸国に配慮し過ぎた。しかし、その配慮はことごとく裏切られた。そこで私は日本人としての本来の姿に戻り、本年八月十五日、英霊の御霊に誠を捧げた。』との声明を発表すべきだ。当然中国や韓国の非難、それに呼応するマスコミや反日日本人の反乱で国中大騒ぎになるだろう。その国論の分裂の中で、衆議院を解散にもってゆくのだ。それによって、本来の祖国日本に戻すのか、それとも歪められた戦後民主主義によって堕落した国であり続けるのか、明確な二つの勢力の対立の構図が出来上がり、国家理念の対立軸とした選挙が可能となるのだ、戦後五十七年封印されてきた靖國の英霊は、再び荒ぶる御霊となって我々と共に戦って頂ける。英霊と共に戦う選挙を戦後初めて行う絶好の機会が、この八月十五日の総理大臣靖國参拝を切っ掛けとして訪れる。日本精神再興の戦いは、このようにしてしか切って落とすことはできない。」

この西村議員の提言には全く同感。今国民の求めているものは物質的豊かさではない。精神的貧しさからの解放である。構造改革の成功は、その基礎である心の構造改革なくしては画餅に帰することは必定で、心の構造改革は靖國神社参拝に象徴されることを夢な忘れそである。

最後に、自民党広報本部長で、『日本会議国会議員懇談会会長代行』の中川昭一衆議院議員が壇上より呼び掛ける。「福田官房長官の私的懇談会では、聞くに耐えない議論が続いている。大半の委員は、近隣諸国がうるさいから、その通りにしようとか、靖國も大事だが中国や韓国の要人もわだかまりなくお参りできるもう一つの施設を作ってもいいではないかといった意見が、大勢を占めている。このまま行ったら大変なことになると思っていたら、最近になって世論の反発に恐れてか審議は空転し、今や意味のない存在になりつつある。この流れを何としても推し進めていかなければならない。英霊の心が安らかにならない建物は意味がないどころか、全く邪魔な存在だ。邪な施設を作らせないように頑張っていく」。

中川議員の物静かな主張に大いに納得させられたが、福田官房長官の陰謀は曲者、最後の止めを刺すまで攻撃の手を緩めてはならない。

その他、来賓として二名の都議会議員が出席されたが、その一人の古賀俊昭議員は、今年も石原慎太郎都知事は八月十五日に正々堂々と靖国参拝をすることを披瀝した後、小泉総理は参拝しないのではないかと思わず本音を漏らした。だが実行力では定評の高い古賀都議員、是非石原都知事に働きかけて、小泉総理の参拝実現を促して貰うよう切にお願いするものである。

そしてラストの挨拶を締めくくったのは、『英霊を慰め日本を守る会』の代表発起人である片岡都美(さとみ)さん(ホテル・プリンセスガーデン社長)である。同女史の男性顔負けのどすを利かせた単刀直入の警句には、一瞬度肝を抜かれた会場もやがて満場の拍手に変わった。

かくて福田官房長官の懇談会で進められている英霊裏切りの策謀を厳しく糾弾した一時間の総決起集会は、目下福田康夫内閣官房長官の下で進められている『懇談会』の即時中止と解散を求める決議(ここをクリックしてください)を採択して幕を閉じ、その覚めやらぬ興奮をエネルギーに、次の「示威行進」へと歩を進めた。 。




目抜き通りに谺する「示威行進」のシュプレヒコール



六梯団に分かれた参加者は、日比谷公園中幸門を先頭に隊伍を整え、14時半行進を開始する。我々戦友団体は第二梯団である。その前を第一宣伝カーが先導役となって徐行する。宣伝カーからのマイクに合わせて、「靖國神社を守れ!」「靖國神社の英霊を裏切るな!」「中国にゴマするな!」「韓国にゴマするな!」「小泉総理は八月十五日に参拝しろ!」「福田官房長官の陰謀を許すな!」のシュプレヒコールを声を限りに連呼しつつ、「靖國神社の英霊を裏切る国の追悼施設絶対反対」と大書された横断幕を先頭に、内幸町→銀座日航ホテル前の外堀通り→数寄屋橋→八重洲口→呉服橋→常磐公園までの約3kmを示威行進した。

台風一過後の晴天で、今年一番の猛暑の中、高齢も何のその一人の落伍者もなく行進を完遂した戦友の顔には、亡き戦友の勇姿を偲びながら大役を果たした安堵感が滲み出ていて清々しかった。

その他の梯団も第二、第三の宣伝カーに鼓舞されて、そのシュプレヒコールと長蛇の日の丸行進が、道ゆく人々の関心を引きつけていた。

私は立場上、三澤浩一氏の捧持する大日章旗に続き第一梯団の先頭を行進したが、千代田・中央・丸の内の三警察署に跨がる行進を誘導する交通整理の警察官の行為ある態度に、心暖まるものを覚えた。

又後で聞いたことだが、八重洲口で大群集の万雷の拍手で迎えられた一団もあったとのこと。

更には、最後尾をカバーしていた第三宣伝カーの柴田氏の言によれば、途中から列を作って行進に参加した方々も大勢出現したとのことである。如何にこの行進が一般国民にアピールしたかの証左であり、真に心強い。




おわりに



この日の行進の圧巻は、団体としては最大の六百名の人員を動員し、二個梯団に分かれて参加したキリスト幕屋の会の行進である。その中には老婆も居れば、乳飲み子をおんぶしてその上幼児の手を引いて流れる汗に濡れた若い母親の姿もあった。その至誠に、英霊も微笑まれておられるのではなかろうか。

更に、このキリスト幕屋の会の老若男女の大団体は、常盤橋公園で集結後「天皇陛下万歳」を三唱して解散した。彼等はキリスト教信者であるとともに、日本人の矜持を持ち合わせているのである。神を信ずるが故に、英霊の尊さを感知しているのである。政教分離云々とかで靖國反対を(わめ)いている輩に、彼等の爪の垢でも煎じて飲ませたい。

ともあれ、今回の総決起集会・行進は、大成功裡に無事終了した。炎天下の行進にこれといった事故もなかったことは、英霊のお加護の賜物であり、感謝の誠を捧げずにはいられない。

しかし、油断は禁物、今回の実行委員会関係者、そして参加者一同は、第三弾、第四弾の国民運動を起こすことを誓いあって散会した。

高齢、体の不調を押して緊急動員に馳せ参じた戦友諸兄、並びに関係者に深甚なる敬意と謝意を表して結びとする。




(佐藤 博志  記)








平成14年7月25日 戦友連402号より

【戦友連】 論文集