戦後日本の汚点と汚名について





横浜市 田村 一







大東亜戦争の結果である日本の汚点(敗戦)は、未だ消えぬ。然れども、その汚点(侵略)は(そそ)ぐべきである。

大東亜(解放)戦争に従軍されて「誠」を捧げられた多数の靖國の英霊が、数百年以上に亘る白人の世界侵略史を見事に断絶した尊行は、世界史に燦然と輝く。白人諸国の植民地の大部分、百ヶ国以上が独立した事実は、人類史上最大最高の功績である。

敗戦による汚名(侵略)は、植民地解放の大成果で帳消しどころか、威張らぬ謙遜な日本は世界から多大な賞讃を頂戴する資格があるのに、その資格を、白人国のように請求しないところが「大和心」の美点である。白人国なら、鵜の目、鷹の目で権利を主張し、恥も外聞もなく要求していたのが歴史である。大東亜戦争は、日本が米国の謀略により、太平洋戦争と称する世界大戦に引き込まれて約四年間、日本は死闘を続けた。







東京裁判は、米を主とする戦勝国が、国際法に違反して日本を弾劾(だんがい)した裁判である。ところが(れっき)とした明らかな国際法違反は、連合国側にあった。


一、米軍の違反

(一) 日本の各都市に対する無差別空襲

(二) 広島、長崎市への原子爆弾投下

以上による一般市民数十万人以上殺傷の犯罪


二、ソ連軍の違反

終戦時のソ連軍(今のロシア軍)は、日ソ平和条約を一方的に破棄して、火事場泥棒以上の樺太・満州侵略の殺人強盗行為を行い、又多数の日本人を捕虜として囚人(なみ)に酷使し、極寒のシベリア開発労働にこき使った(死亡者六万人余)・このソ連の極悪非道も、米国に勝るとも劣らぬ国際法違反である。

以下、編者高橋正二先生の承諾を得て『諸外国による東京裁判批判』の一部を掲載し、参考に供したいと思う。




諸外国人による東京裁判批判



高橋 正二 編



一、東京裁判の仕掛人・ご三家の反省



(1) 最高責任者ダグラス・マッカーサー元帥

昭和26年('51)5月3日、米上院外交・軍事合同委員会において、「日本が第二次大戦に赴いた目的は、そのほとんどが日米の安全保障のためであった」と証言した。

(2) ウェッブ裁判長

ウェッブ裁判長はオーストラリアに帰国後、「私は東京裁判で裁判長席に座った30ヶ月間、証人達の皇室に対する気遣いと尊敬の念及び、自己の立場を主張する際の真面目さと誠実感とにしばしば心を打たれた。私は日本が一九四一年に戦争に訴えたことに対し、日本を断罪するにどんな権利があるのかとしばしば自問した」と語った。

(3) キーナン首席検事

キーナン首席検事は後日、「あの裁判は大きな誤りであった」と告白している。




二、印度のラダビッド・パール判事『日本無罪論』の要旨



(1) 支那事変以来、米英両国は、中立国の国際法上の義務に違反して、公然と蒋介石政権に対して経済的軍事的に多大の援助を与えた。これは明らかに日本に対する挑発行為であり、宣戦なき戦争を日本にしかけたものである。

(2) 支那事変の末期、米・英・支・蘭等四ヶ国が協同してABCD包囲陣を作り、日本を経済的に封鎖した。特に日本に対する石油の全面禁輸は、日本に対する厳しい挑戦行為である。

(3) 米国は開戦前の11月26日、日本に対して最後通牒を突きつけた。その第三項に「日本は中国および仏印の全土から陸海軍と警察力を全部撤退する」よう要求した。これは明らかに、日清、日露両戦役の結果日本が正当に得た権益を捨てることを要求するもので、宣戦布告と同様である。

(4) 米国は11月27日、前哨地帯の諸指揮官に対し、戦闘態勢に入るよう秘密指令を出した。この日に対日戦争を開始したことになる。

以上により日本は無罪である。





三、米国議会は上下両院合同の査問委員会を結成し、軍部の挑発行為を査問した。




同委員会の結論は、

「日米間の戦争を企画し、日本をして戦争に踏み切るよう誘導したのは、他ならぬルーズベルト大統領その人であった」

(註) ロバート・ショウボルト(開戦当時の太平洋艦隊司令カンキンメル提督の弁護人)の証言。チャールズ・A・ビアード博士(元アメリカ歴史学会会長)の証言。シカゴトリビューン紙論説記者ジョージ氏、ジョージタウン大学外交史担当タンレル博士の証言。・・・等々。




四、米国下院、共和党D・ショート議員の演説('94・11・28)



「真珠湾攻撃に関する全てのいきさつと真実が語られ、白日の下に曝け出されるならば、米国々民は衝撃を受け、激怒し、かつ悲嘆にくれるだろう。彼等(米国民)の心は深い悲しみに包まれ、激しく傷つけられるだろう」




五、米国軍大将キンメルは、'54・12・7(昭29)、真珠湾攻撃記念日に、UP記者にこう述べた。



「13年前、日本を計画的に挑発して攻撃を仕掛けさせ、アメリカを第二次世界大戦に引きずり込んだのは、ルーズベルト政権である。」




六、米陸軍参謀本部戦争計画立案者ウェデマイアー陸軍大将は、その回想録にこう書いてある。



「アメリカはイギリスの苦境を救うため、戦争中立に背き、日独伊三国同盟を逆用し、無理難題(ハルノート)を突きつけ、パールハーバーのアメリカ艦隊を囚にして、アメリカを欧州戦争の裏口から介入する目的を達成した。」




七、米国大統領フーバーの言。



「若し吾々が日本人を挑発しなかったら、決して日本人から攻撃を受けることはなかったであろう」




八、エリオット・ソープ准将(マ元帥が厚木飛行場に到着直後、A級戦犯の逮捕を命ぜられた対敵情報官)の自白。



「戦争を国策の手段とした罪などは戦後に作ったもので、リンチ裁判用の事後法だ。」




九、ウイロビー将軍(GHQ第二部長)の言。



「この裁判は有史この方最悪の偽善であった。この種の裁判が行われる以上、自分の息子には軍務につくことを許さない。」




十、サンフランシスコ講和会議(昭和26年:'51)で調印された対日平和条約第11条の論議の際、



メキシコ政府代表、アルゼンチン政府代表は共に、東京裁判の違法性を堂々と主張し、その法的欠陥を激しく衝いた。




結 語



誠実に、真摯に、歴史を学べば、パール判事の『日本無罪論』が正論であることは一目瞭然である。

正義日本の汚点(敗戦)は消えないが、日本の汚名(侵略)は完全に(そそ)がれる。戦犯にされた方々の英霊も、靖國の神として祀られるのは当然のことである。



(元陸軍海上挺進第35戦隊長)







平成14年8月25日 戦友連403号より


【戦友連】 論文集