八月十五日以降のマスメディアの横暴
−靖国参拝と歴史認識は同次元で論じられるものではない−








八月十五日前後の左派マスメディアの動向



(1) 8月9日朝日新聞は、自民党の前幹事長で現日本遺族会の古賀誠会長にインタビューを求め、誘導的質問でA級戦犯の分祀が靖國参拝問題の解決の一案であるとの発言を引き出し、この発言をきっかけに、『自発的分祀』が靖國問題の打開策として浮上する可能性があると伝えた。この問題はすでに何度も検討され結論が出ており、この時期今更持ち出す朝日の偏向振りは何とも度し難い。

(2) 8月15日の久米宏の「ニュースステーション」は「南京大虐殺」を取り上げ、『南京戦・封じられた記憶を訪ねて−旧日本兵一〇二人の証言』の出版を紹介したが、その本の中で、当時11歳の日本兵がレイプしたことが記載されており、捏造された狂言であることが直ちにばれ、翌日調査不十分であったことを詫びる羽目となった。だが朝日新聞社のホームページ「国際・日中飛鴻」では『人民日報ニュース』として採り上げ、大要「松岡環を会長とする『日本銘心会』と『旅日華僑中日交流促進会』が、四年間をかけて南京戦に参加した二百人以上の旧日本兵を取材したほか、大量の資料を撮影、記録した。・・・これらの証言や陣中日誌などにより、大虐殺が逆らうことのできない『上部の命令』によって引き起こされた惨劇であることがわかる。この研究成果は15日、日本で出版された。」と世界に発信した。中国の手先となって自国を(おとし)める輩の存在は、何としても許し難い。

(3) 8月16日の毎日新聞は、「英霊にこたえる会」や「戦友連」が、いわゆる「追悼懇」の十人の委員の住所・電話番号などを明示して、反対の声を届けようとのキャンペーンを行っているのはプライバシー侵害の違法行為すれすれの卑怯な行為と非難した。これに応えて「英会」では、我々は逃げも隠れもしない、住所も電話番号も公開されている。どうぞ何でも反論して結構、とホームページで呼び掛けたが、大した反応は今のところないようである。

そもそもあのビラは、7月12日の「追悼施設」反対の示威行進の時から国民に訴えてきたのであり、8月15日から宣伝したわけではない。あの集会時(7月12日)に案内したにも拘らず、我々のような良識派の運動には見向きもせず背中を向けながら、その不勉強を恥じる事なく、自分の都合のいい時だけ(なじ)るなど以てのほかである。




八月十八日「サンデープロジェクト」での
司会者田原総一朗の暴言



当日の番組は特集「激論−靖國問題、国立墓地建設の是非」だった。産経新聞8月20日付の報道や週刊新潮8月29日号の記事によれば、田原氏の「満州事変以降の戦争をどう思うか」との問い掛けに、ゲストの高市早苗衆院議員が「それは自存自衛のための戦争だ」との答えに、田原氏は色をなし「それは全然違う。いいか、あれは関東軍の全くの反乱だよ。自存自衛なんて全くの無知。(あんたみたいな人が)国会議員をやっているのはおかしい」と一方的にまくし立て、同番組常連の高野(ただし)(インサイダー編集長)と声を合わせて批判、挙句の果てに「こういう幼稚な人が下品な言葉で靖國、靖國っていうから、僕は靖國神社は存って良いと思うよ、でもあんたみたいな下品な人間が、僕が靖國神社に行ったら・・・日本で下品な人間が、憎たらしい顔をしたやつが集まっているんだよ、みんな。(靖國が)可哀想だと思うよ。」と罵詈雑言を浴びせた。当然高市氏はこの暴言に対して19日、釈明を求める文書を田原氏に送った。また一般の視聴者からテレビ朝日に対し多くの抗議文が殺到した。テレビ朝日の広報部は「誤解を招く表現だったかもしれないが、参拝者全体を愚弄する発言ではない」としている。週刊新潮ロビー編集子の、今年3月の辻本清美前議員に同番組で接した対応と比較しての苦言「田原氏は同じ女性議員でも、市民派には甘く、タカ派には厳しいらしい。敢えていう、田原氏よ、あなたの方がよほど下品、司会者としても完全に失格である。」には全く同感、田原氏に猛反省を促すものである。




何故田原氏はこの様な暴挙を敢えて犯したのか



田原氏は「国立追悼施設」賛成の立場から、反対の急先鋒である高市議員を(おとし)め、俄かにその勢いを増しつつある反対派国会議員の気勢を殺ぐために予め作戦を練り、恰も被告席に似たゲスト席を設け、高市議員を呼び寄せたのではないか。下司の勘繰りで申し訳ないが、筆者にはこの謀略は、あの狷介(けんかい)な福田官房長官と内通していたのではないかとさえ思われる。そして軍史専門研究家の間でも微妙な見解の相違が見られる満州事変の性格について、糾弾の焦点をあわせたのではないか。田原氏の歴史認識については後で論ずるとして、彼の決定的な誤謬は、『靖國問題は本質的に歴史認識如何と同次元で論ずるべき問題ではない』という認識が欠如していることである。国のため命を捧げた方々の御霊を、その国の最高の儀礼にしたがって、国として慰霊感謝の誠を尽くすことは、人間として自然の感情の発露であり、戦争の性格とかその勝敗には関係のない、古今東西を通じての普遍的人倫の道である。動物ですらその共同生活群の防衛本能があり、時としてそのリーダーは身を犠牲にしても外敵に立ち向かうではないか。これを否定するものは、犬・畜生にも劣ると軽蔑されても仕方があるまい。




田原総一郎氏の謝罪とその後の経過



以下高市早苗議員のホームページでその後の経過を追ってみたい。放送翌日電話で田原氏は、「下品という表現は申し訳なかった。高市さん個人のことを言ったのではなく、国会議員が集団で靖國神社に参拝することは良いこととは思わないし、今日も右翼から電話があったが、靖國に参拝される方の中に下品な人が多いという事を言いたかった」とお詫びしたという。

この言種(いいぐさ)は何だ。確かに右翼が境内に、たまに宣伝車で乗付ける事はあってもそう頻繁ではなく、この一事を以て、参拝者の中に下品な人が多いとの断定は、参拝者を侮辱するばかりではなく、英霊の冒涜につながる言辞である。

後日「サンデープロジェクト」のプロデューサーが議員会館を訪れ、「個人の人格攻撃になる言葉を放送した『放送責任』を取るためにきちんと次回の番組で謝罪する」との故、改めて彼女の戦争観を説明し「名誉挽回」の言質を取ると共に、次回25日の放送では「欠席裁判」にならないよう同プロデューサーに念を押したとのことである。ところが25日の放送では、田原氏の下品という言葉を使った謝罪と、アナウンサーから番組のお詫びと、高市議員の戦争観についての説明があった後で、田原氏は「ちょっとここで反論したい」として、高市議員の戦争認識について再批判を行ったのである。彼女の恐れていた「欠席裁判」である。




田原総一郎の歴史認識と高市早苗議員の反論



田原氏は「一九二二年に米国ウィルソン前大統領の提唱によって締結されたワシントン条約は、今後植民地政策を禁止したもので、満州事変(一九三一年)、日中戦争(一九三七年)はその後で日本が起こした戦争だから侵略戦争だ」との視点に立つ。これに対する高市議員の反論は、「ワシントン条約での決議の主なものは、(1)海軍軍縮制限に関する条約と(2)中国に関する九ヵ国条約で、「太平洋・極東問題」がテーマではあったが「植民地問題」は議題に上がっていない。前者は米英日三国間の建艦競争制限を意図し、米国の納税者の声を受けて米国が動いたもので、港湾設備や造船技術で上回っていた日本への牽制でもあった」との指摘はまさに正鵠を射ており、日本は国内世論の反発を押し切って5・5・3の比率に甘んじ、協調体制を取ったのである。又「後者の九ヵ国条約は、東アジアの混乱を招く不安定要素の多い中国に関して統一と保全を促進し、関係諸国間では商工上の機会均等や門戸開放などが約された」と控目な表現となっているが、中国大陸への経済的進出に遅れを取っていた米国が、先発諸国の既得権益に足枷(あしかせ)をはめ、米国の新たな進出の機会を窺うことの意図が見え見えだったのである。更に「ワシントン会議から三ヵ月後の一九二二年五月に、張作霖が東三省(満州)独立宣言をし、中国は『北京』『広東』『奉天』の3政府に分裂、『主権』『独立』どころか国家としての体をなさない状態になってしまい、この時既に満州は、条約に言う『支那中央政府』の支配の及ばない実質的自治地域になっていた。」との指摘も当を得ている。一九一一年辛亥革命を成功させた孫文が、祖国統一を画策した在日中、東北三省についてはその版図と見なさず、関係者を招聘しなかったことによっても、漢民族統一の規模が那辺にあったかが窺い知れる。

中国の分裂と混乱、世界の保護貿易傾向での資源や市場を獲得できなくなった日本の経済安全保障への懸念、地理的に隣接するロシアの極東軍事力の増大、様々な要因の中で追い詰められていった日本の「当時における大義」は、やはり「自存自衛だった」と言わざるを得ないとの言説は説得力十分である。

ワシントン体制時代に、侵略戦争の概念など世界中何処をさがしてもありはしなかったし、一九二八年パリで締結された不戦条約、いわゆるブリアン=ケロッグ協定でも、わが国の国際法学会の権威者である佐藤和男博士の説によれば、「不戦条約は侵攻戦争(筆者注・・・我々の通常用語での侵略戦争)を国際法上の犯罪とはしていない」何故なら、本条約の起草者であるアメリカ国務長官ケロッグが、日本を含む諸国に送達した一九二八年六月二三日付公文で、自衛戦争であるか否かに関する自己解釈権を明白に承認しているからである。

高市議員は、〔歴史解釈において「歴史的事象が起きた時点、政府が何を大義とし、国民がどう」理解していたか」で判断することとしており、現代の常識や法律で過去を裁かないようにしている。〕と。これが有識者の真摯な姿勢ではなかろうか。この争論の理非曲直はいずれにありや最早明白、田原総一郎以て如何となす!。




田原総一郎氏に物申す



田原さん、私はあなたの歯に衣を着せない快刀乱麻をたつような明快な司会者振りには、時として傲慢さを感じながらも、むしろ好感を抱いておりました。しかし、今度の暴言事件には大きなショックを受けました。あなた程の勉強家なら、靖國神社の本質は十分ご存じだろうと思っていたからです。それが右翼嫌いは分かるにしても、無知で下品な輩の多い参拝者などの言辞は絶対に許せません。歴史認識の相違は自由ですが、あなたがカチカチの共産党員ならいざ知らず、英霊を冒涜するような行為は絶対しないで下さい。あなたの五年がかりの大労作『日本の戦争』を、今回の事件を契機に読み直しました。膨大な資料を駆使しての緻密な記述には感服しました。かつて私は小林よしのりさんとあなたの「戦争論争戦」を読んで、日本が政策を誤ったのは「韓国併合」あたりからとのあなたの歴史認識を知りました。そして『日本の戦争』を読み返して、あなたの結論は、あとがきに書いてある「あの戦争が始まった原因は軍部の暴走ではなく、世論迎合だった。なぜ、戦後我々日本人は戦争責任をあいまいにしてきたのか。この間、いろいろいわれてきたが、この作業をやってきて、それをはっきりと理解した。」でしたね。世論の誘導はマスメディアに責任がある、と本文中にも書いてありますね。そう「鬼畜米英」「撃ちてし止まむ」などで戦意を高揚したのは朝日新聞ですね。それが戦後は何の反省もなく、一国平和主義、親中一本槍、方向は百八十度変わっても思考過程は全く同一、これでは先の大戦が国を滅ぼしたのと同じく、このままのマスメディアでは本当の亡国に繋がりますね。まして今日は昔と違ってテレビ・ワイドショーの時代、その伝播力は計り知れず、政治の貧困からマスメディアは今や第一の権力者の座を占めていますね。どうか、そのメディアの中枢機能を担うご自身を自覚されて、その力で祖国再建の世論を喚起してください。

それから、あなたは高市早苗さんを罵倒されましたね。満州事変以降の戦争はすべて侵略戦争だと。あなたが信頼している加登川幸太郎氏の『陸軍の反省(下巻)』は、満州事変の発端として次の如く述べている。そのまま引用しますと「満州事変は中国側の対日圧迫、日本が合法的に得ていた日中間の条約に対する排日、不当な圧迫等に対する自衛の反撃戦であった。いわば、売られた喧嘩を買ったものだったと確信する。」と。




(佐藤 博志  記)








平成14年9月25日 戦友連404号より

【戦友連】 論文集