靖國問題本質の検証





副会長 佐藤 博志   







靖國問題はこれからが正念場




「靖國神社を国の手で祀ってもらいたい」という只一つの願いで結集した「戦友連」の活動も、その長い軌跡に終止符を打ち、同じ志で結ばれた若者たちにバトンをタッチして第一線を退くこととなったが、わが国の現状を直視するとき、「老兵は消え去るのみ」どころか、「斃れて後止まず」の闘争心をかき立てずにはいられない。

小泉総理の「靖國発言」により、靖國神社に対する国民の関心は高まったが、一方において、いわゆる「追悼懇」の不毛の論議に災いされて、靖國神社の本質を故意に曲解しようとする曲学阿世の徒も少なからず、靖國問題は新たな局面を迎えている。特にその思考過程に、本来戦没者慰霊追悼とは次元を異にする戦争責任を絡ませての論理構成が割り込み、取り返しの効かない事態の発生が憂慮される極めて重大な局面に立ち至っていることを、認識しなければならない。




靖國問題の解決なくして
独立国家としての日本の再生は有り得ない



独立主権国家の最大の義務は、国民の生命・財産を守ることにある。その為には、物心両面にわたる国防能力の充実は言うに及ばず、国民一人一人の国家共同体構成の一員としての自覚と、その国を守る愛国心が必須の要件となる。それ故、19世紀後半成立した近代国家は、有事に際し「個」の身を捨てて「公」の国に殉じた戦没者を、その国の風俗伝統に則り最大の儀礼を以て手厚く慰霊顕彰している。

その例に洩れずわが国も、昭和20年大東亜戦争敗戦の結果、占領軍のいわゆる「神道指令」により靖國神社が一宗教法人として衣替えを強いられるまでは、靖國神社が明治2年招魂社(明治12年靖國神社と改名)として御創建以来、「官幣大社」としてその英霊の慰霊顕彰に奉仕し、陸海軍両省がその管理の任に当たっていた。その後の経過については、紙数の制限もあり割愛せざるを得ないが、独立主権回復後、半世紀を経過した今日でも、「国家祭祀」はおろか、総理の靖國参拝にも他国の鼻息を伺うこの卑屈さは一体どうしたことか。

靖國問題が、中曽根総理の言行不一致のパフォーマンス的「靖國参拝」により外交問題と化した昭和60年、それまで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと自他共にその発展を誇っていた経済面でも、大きな転換を迎えていた。円高・ドル安を容認した先進七ヶ国による「プラザ合意」の成立である。これ以来、日本産業の空洞化が始まり、今にして思えば「失われた十年」ではなく、「失われた二十年」と言うべきかも知れない。

その間、経済のみならず政治・社会全般にわたり自己中心・保身・責任回避等モラルの低下が世に蔓延(はびこ)り、今日の惨状を呈するに至った。この精神的荒廃の象徴的現象として靖國問題を捕らえ、国家成立の本質に関わる靖國神社に対する国家的背信・その不作為行為を早急に是正する以外に、日本再生の道は無いことを声を大にして天下に訴えて憚らない。




日本がここまで堕落した原因と現状の分析



大東亜戦争において勝利を収めたものの、日本の頑強な抵抗に手を焼いた米国は、再び日本をして白色人種の敵として立ち上がることが出来ないように、徹底的にその弱体化政策を押し進めた。マッカーサー占領軍司令官は、国際慣習法に違反して、日本国憲法や教育基本法の制定を要求する他、「ウォー・ギルト・インホメーション・プログラム」(戦争犯罪情報徹底計画)により、日本の過去の歴史の抹殺に異常なまでの擦り込みを行った。

当時スターリン指導下の国際コミンテルンは、世界赤化を目指して世界に猛威を振るっていた。日米開戦の直接の動機となったハル・ノートの下書きをしたホワイトも、米国国務省に巣くった共産党シンパであることは今や周知の事実であり、占領軍当局内にも共産主義者が多数存在していた。加えてスターリンは、その第一の目標を日本共産党に絞っていたことは、日本共産党に与えた「32年テーゼ」(昭和7年、天皇制打破・暴力革命も辞さない日本赤化の強行指令)に照らしても明らかで、この占領政策とコミンテルンの対日政策とは忽ちドッキングして、財閥解体・地主追放等の社会主義政策が占領直後より次々と行われた。

その共産化思想が日教組に受け継がれ今日に尚禍根を残している他、昔ながらの共産党綱領を墨守している日本共産党は、巧みな弁舌と時流に乗った庶民政策を掲げて、マスコミ・メディアはもとより国家機関・地方自治体に幅広く潜入し、今日の左傾した日本を作り出し、絶対平和の護憲の衣の下で、あわよくば共産党独裁の人民政府設立の革命の牙を研いでいることを特に警戒すべきである。彼等は唯物史観であり、神の存在は認めず、勿論靖國問題はすべて反対で、最近頻発する靖國訴訟問題も彼らのリードによるものである。

もう一つ指摘したいことは、東京裁判は法的根拠もなく、勝者の敗者に対する復讐劇であったことは国際的には定説となっているが、国内的にはサンフランシスコ講和条約第十一条の、「判決受諾」とすべきところを「裁判受諾」と誤訳した日本文に(こだわ)り、裁判を受諾した以上は東京裁判史観に従う義務があるなどとの謬見が政・官・学の各界に残っていることは嘆かわしい次第だ。

そもそも東京裁判の最中、日本の侵略戦争の罪は免れないと積極的に検察側の意見に擦り寄り提灯を付けたのは、当時のわが国の国際法学者の権威横田喜三郎東大教授で、その変わり目の早い保身術はまさに言語道断、その後三権の長である最高裁長官まで上り詰めた彼の、国益に優先するエゴイズムが、東大法学部卒のエリート集団の官僚、就中外交官の行動の指針となったことは真に遺憾で、わが国の国益に甚大な損害を与えたことは今更説明をするまでもなかろう。




今後何をなすべきか



もう紙数も残り少なくなった。結論を急ごう。

憲法守って国亡ぶの愚を犯してはならない。事態の推移に従って、憲法は随時改正されるべきだ。現行憲法の厳密な解釈では、敵が侵略してきた場合には自衛の能力もなく降参するしかない。

先ず前文の、「・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した・・・」の幻想に過ぎない現実無視の文言は削除する。

第9条に、自衛のための軍隊の保有は明記する。

政教分離に関する第20条及び第89条は、靖國神社の特異性を明確にするよう改正する。

行政的措置としては、憲法改正までの期間の間隙を補完すべく、早急に国家安全保障基本法を制定し、防衛庁は国防省に格上げする。

これらの法的措置を実現するためには、先述の共産党左翼勢力との闘争に打ち勝たなければならない。そのためには世論の喚起が必須である。この際参考とすべき事態が、今眼前に展開されている。それは、北朝鮮の拉致疑惑解明についての国民的合意の形成である。弱腰の政府当局も左翼マスメディアも、この世論には抗し切れず、百戦錬磨の金正日総書記と飽くまでも対決する姿勢を示している。是非その貫徹を期したい。

靖國問題も、各地の友好団体が大同団結して世論の形成に貢献しようではないか。それにも増して、個々の立場を有効に活用して、身近なところから口コミによる啓蒙活動も極めて大事である。

最後にいいニュースを一つ。昨年から開設していた「戦友連」のホームページに、11月10日掲示板を設けたところ、早速28歳の匿名の方から大要次の様な第1号の投稿が飛び込んできた。

「・・・私も自虐的日本人の一人でした。・・・戦争を、先輩方を、天皇陛下を、冷ややかな距離を持ってみていた一人です。それでもなお、こうして続けていただけた先輩たちの努力のおかげで、私が学んで来た歴史が血を断絶させるためにつくられた歴史であったこと、そしてここに血の流れる歴史があることを知りました。先輩方の深い思いをここに知りました。ほんとうに有り難い。・・・生まれて初めて日本という国を、あたたかい家族のように思うことができるようになりました。申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。嬉しさや喜びでいっぱいです。来年は靖國神社に参ります。」インターネットで我々の同志サークルの輪を広げましょう。





平成14年11月25日 戦友連406号より


【戦友連】 論文集