私・・・ハルというのは当時のアメリカの国務長官の名
前だ。日本でいえば外務大臣だ。ノートというのは覚
え書きとでも訳せばよいだろう。日本の政府がハル・
ノートを受けとったのは、昭和十六年十一月二十七日
と言われているが、その時の感想を当時の東郷外相は
「目もくらむばかり失望にうたれた」と述べている。
ハル・ノートというのはネ、日本の陸海空軍と警察
力を中国から完全撤退せよ、重慶以外の政権を支持す
るな・・・・というものだった。当時中国には日本人が沢山住んで
いて、日本の工場も沢山にあり、軍や警察が
治安を維持していた。また重慶政権以外に、南京には
重慶から脱出して来た汪精衛の親日政権があって、日
本は何とか少しでも早く戦争を終結し、親日政権との
間に平和な日中関係を築きたいと願っていた。
そこへこのハル・ノートだろう。ハル・ノートをの
まなければ経済封鎖はとかないというのだ。
ハル・ノートをのんだらどうなる?中国に居る日本
人も工場も大混乱に陥るだろう。中国から抗日勢力を
一掃して、何とか友好的な日中関係をつくろうとした。
そのために沢山の日本人の血も流した・・・・そうした中
国を見捨てて、中国に居る日本人や南京の親日政権を
見捨てて、軍や警察が引き揚げたら、中国はどうなる
か、分るだろう。第一、日本の国民感情が許さなかっ
ただろう。
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