直言三題



靖国神社法案が廃案になった。

「予想通りだ」と言ったら戦友諸兄に叱られるかも知れないが、万博、安保をひかえてヘッピリ腰の政治家どもを考えれば、法案通過はおろか継続審議に持ち込むのも・・・、と思うのが当然だったろう。だから今更驚きはしないが、それでも無性に腹が立つ。

だいたい自民党は、初めから今国会で靖国神社法案を真剣に取扱う気持がなかった。 無いなら無い、駄目なら駄目となぜ言わぬ。あたかも通すかのような言辞とジェスチァーで目先を糊塗したのが気にくわぬ。

票と金とに明け暮れて変節窮まりないのが練達の政治家と思っているのだろうが、その練達の政治家が多い故に日本は惰落の道を歩いているのだ。高度成長などと浮かれているうちに、大本の民心が腐っていくのがわからぬのか。

歴史を見よ、世界各地に見る民族の興亡の遺跡は何を物語るや。権勢奢に耽けて安逸に走り、万民天下泰平を謳歌したとき、国は破れ滅びた。「ローマは一日にして成らず」と言われるが、その粒々辛苦して築かれたローマだって滅びタではないか。大浴場に湯浴して享楽をむさぼったローマ人が、果してローマ大帝国の滅亡を考えたろうか。

日本だって誰が滅びないと保証出来る。日本の将来はバラ色などと喜こんでいるのは愚の骨頂だ。繁栄の裏に潜む道義の頽廃、民心の倦怠を何とする。

国政腐敗して国乱る。その最大の因は政治家の惰落なるを銘肝せよ。










靖国神社法貫徹国民協議会は、ただ法案が成立すれば良いと思っているのだろうか。憲法だって三分の二の賛成があれば改められると言うのに、よもや靖国法が出来れば靖国神社は絶対安泰と考えているのではあるまい。

だとしたら、協議会の運動方針はこの辺で反省さるべだ。一に陳情、二に陳情、もっぱら対国会、対国会議員の運動に偏するのはどんなものか。

また政治家に対する認識が甘い。廊下トンビのように議事堂の廊下を飛び回っても、何の効果もありはしない。効果が上がるとすれば、それは政治家に好都合な時だけだ。決して廊下を飛び回ったおかげではない。

靖国法貫徹には二本の柱がいる。第一は国民の靖国神社に対する認識を高めることだ。世論の喚起だ。このごろの青少年には、靖国神社の本質はおろか、誰が祀られているかも知らない者が多い。しかも歪曲された宣伝に乗せられている世相では、票に敏感な政治家どもが動くわけがない。ましてや、靖国神社百年の安泰など砂上の楼閣だ。

第二は国会に対する圧力だ。これは一による背景があって初めて効果が期待出来る。

これには時間がかかる。五年でも十年でもよい。われわれの目の黒いうちに達成すればよい。ある遺族会役員のように、「今年法案が通過しなければ云々・・・」と悲壮がる必要はない。長年無心に努力してきた遺族会の心情はわかるが、功を急ぐことのみに捉われるのは賛成出来ない。むしろ十年余も努力してなおかつ目的を達成出来なかった原因を冷静に反省すべきだ。その原因の最大なるものが運動方針の誤りにありはしないか。










われわれは今度の廃案に驚くまい。憤るまい。それは我我を政治家どもの低い次元に引き下げるだけだからだ。

それよりも、われわれは初心を想い起こそう。そもそもわれわれが靖国神社の国家護持に立ち上ったのは、英霊に報いるためだった。では英霊は何を望んでおられるのか。きっと、経済の発展と裏腹に廃り行く日本民族の精神を嘆き、国家百年の将来を憂えておられるに違いない。

私は英霊の声をこう聞く。「生存戦友諸君、君達がわれらを国家で祀ることに努力してくれるのは有難い。しかしわれらのことより日本の将来を考えてくれ。護国の鬼となって日本千年の平和と繁栄を願うわれらには、日本の現状が心配でならないのだ。」

私は答えて申し上げる。「兄らの心中察するに余りある。だからこそ、われらは靖国神社国家護持に没頭するのです。国民とくに若い世代が、兄らの崇高な奉仕の精神を真に理解し、感謝し、民族道義の大本をしっかりと身につけたとき、日本千年の将来が輝かしく開けると信ずるのです。」

この私の信念からすれば、国家護持法成立は方法であって目的ではない。真に英霊の心に報いる道は、形だけの国家護持では済まされない。

ああ、戦友連は常に高邁な旗のもとにありたい。卑俗な現世風の政治運動を真似て、政治家どもの動きに一喜一憂するのは避けるべきだ。常に物事の本質を見透し、われらが英霊に対する純粋な気持を打ち込んで啓蒙に努めれば、たとえその道は遠くとも、必ずや真の目的達成に漕ぎつけるであろう。


(昭和四十五年五月)








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